社会

10/22巻頭言「ゴーイングホームデイ2023」

4年ぶり。抱樸にとって「炊き出しで一緒に食べられない」、あるいは「ゴーイングホームデイ」が出来ないということは「本質」に関わる事態だった。2023年10月21日ついにその日がやってきた。「ゴーイングホームデイ2023」である。
「家族になる」を掲げてきた抱樸(当時のホーレス支援機構)は、15年前「家族なら運動会だろう」と、ホームレスから自立した方々を中心に運動会「ゴーイングホームデイ」を始めた。しかし、コロナ禍となり、この3年間は開催でいない事態が続いていた。久しぶりのゴーイングホームデイには過去最高の330人が集まった。
今年のハプニング大賞は多機能型作業所抱樸に通われているIさんが受賞。借り物競争の時「正直な人」という指示に周囲がIさんを推した。走者と一緒に走り出すかと思いきやIさんは「僕は正直ではありません」と自分の席に戻られた。会場は笑いに包まれた。「なんて正直な人だ」と僕は思った。
家族でなんとかしろ。身内の責任と言い続けてきた。しかし、単身者の増加はそんな「原則」が「現実的でない」ことを示した。「家族ならお弁当を作れ」。「家族なら葬式を出せ」。そんな「原則」を振りかざしても「実際できない」。ならば、これまで家族が担ってきた「機能」を担った人を「全部家族」と言えばいい。家族だから運動会で一緒にお弁当を食べる?そんな「原理」を並べても何も始まらない。そうではなく「運動会」に参加した人は「全員家族」なのだ。家族とは何か。簡単なことだ。今日、ゴーイングホームデイに参加した人が家族なのだ。「家族なら運動会に行くだろう」ではない。「運動会に行った人が家族」。
抱樸は「対人援助組織」。確かにそれが「本務」だ。そうなると抱樸が35年大事にしてきた「運動会」や「葬儀」は何だったのか。それは「余暇」だったのか。違うと思う。今日のゴーイングホームデイの一日は、それこそが抱樸の「本務」なのだと確信させるものだった。下は赤ちゃんから上は90代。一堂に会して運動会に参加する。実行委員会は「全員が楽しめる」ことに専念した。そこにいた全員が笑っていた。
ゴーイングホームデイは、抱樸にとって何よりも「本務」である。日頃は、組織や制度に不自由を感じていたスタッフも今日は解放されたと思う。
希望のまちの着工日が迫っている。こんなご時世に「まち」を創るならどんなまちが必要か。今日僕は確信した。ゴーイングホームデイを毎日やれば良いのだ。今日、体現されたあの姿を毎日やればいいだけだ。資金確保の苦労は絶えないが、希望のまちは出来ると僕は確信した。

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