鳩間島は八重山諸島の一つ。西表島の脇にある周囲四キロ、人口50人の孤島。この島と出会ったのは2006年、長男が14歳の時。学校に行けず悶々とした日を過ごしていた息子が「そういう子どもを引き受けている島が沖縄にある」と知り探しあてた。中二の三学期から島の中学校に転校。五年後、次男も島に行った。
二人を受け入れてくれたのは仲宗根ご夫妻。島のお父さん、お母さんだ。卒業以来、できる限り島の両親を訪ねている。僕は仲宗根さんの弟ということになっている。
振り返ると不登校の息子に本当に申し訳ないことをした。いじめや学校だけでも大変なのに、親の圧力が加わる。あれから20年近くが過ぎた。時折、不登校の子どもの親御さんから相談を受ける。相談に乗れる立場にないが自戒を込めて話す。
鳩間の海は(珊瑚はずいぶん減ったようだが)豊かで美しい。ポカリと浮かび空を見る。あの時と変わらない青と白が迎えてくれる。瞬間、僕は明日も明後日も忘れる。ただ、ぷかぷかとする。心配事を上げると切りがない。教会のこと、抱樸のこと、そして希望のまち。今日は、申し訳ないがすべてを置いてぷかぷか浮かぶ。
なぜ、僕はあの時「今日の息子」に「今日の親父」として向き合えなかったのだろう。「そろそろ学校に行かないと高校受験に間に合わない」。口では言わないが、全身からそんなオーラがにじみ出る。必死に「今日を生きよう」ともがいている息子に「明日」どころか「一年先」を暗に問う。ひどい話だ。今日を大切にするしかないのに。
今日が無ければ明日はない。若者は50年先も生きるだろう。僕はそんなに残っていないが、それでも「明日がある」と思っている。でも事実は、今この時、この瞬間を生きるに過ぎない。だから、今日を大事にしないと明日も来ない。「明日は良くなる」。そう思いたい。しかし、今日をどう生き抜くかが百倍大事。
イエスは言う。「明日のことは明日考えたらどうだ。苦労も心配もすべては今日のこと。まずは今日を必死に生きてみろ。明日は明日悩めばいいじゃないか。明日は明日の風が吹く」。
鳩間に来るとイエスのそんな言葉が生き生きと迫る。今日を生きている感じがする。あああ、今日も飲みすぎた。二日酔いが心配だ。あああ、もう明日のことを思い煩ってしまった。
大きなコウモリがバッサバッサと飛んでいく。虫たちが鳴き、鳴きヤモリがキュキュキュと答える。ここは鳩間島。「今日を生きる」ために時々戻ってくる場所。明日のことが思い煩わず、もう一杯飲むことにする。
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