2017年8月6日(日) 主日礼拝
宣教題 | 「平和をつくりだす人の正体」 |
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宣教 | 奥田知志牧師 |
聖書 | ローマ人への手紙3章10-24節 |
次のように書いてある、
「義人はいない、ひとりもいない。
悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。
善を行う者はいない、ひとりもいない。
彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。
彼らの足は、血を流すのに速く、彼らの道には、破壊と悲惨とがある。
そして、彼らは平和の道を知らない。
彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
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