4/2巻頭言「千代さんの最期」西日本新聞エッセイ その⑭

(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
千代さん(仮名)が自立することになった。娘さんに連絡したが「関わりたくない」とのことだった。最初は順調だった。ある日「奥田さん、友達が亡くなったので香典代5,000円貸して」と相談に来られた。昔の友人と再会できる機会だと思いお金を貸した。一週間後「従妹が死んだんよ。5,000円貸して」と千代さん。よく人が死ぬなあと思いつつ、親戚だから娘とも再会できるかもとお貸しした。
一週間後、血相を変えてやってきた。「大変だ。昨夜娘の婿が死んだんよ。義理の息子やけ一万円貸して」。おいおい、なんぼ何でも死に過ぎやろ。「千代さん、ちょっと」と電話機の前に座ってもらった。スピーカーをオンにして娘さんに電話をした。「奥田です」「ああ、いつも母がお世話になっています」「いや、そちら大変だそうで」「何かありましたか」「ご主人急逝されたと伺いました」「えっうちの旦那死んだんですか」「はい、お母さん香典代を借りに来られてますが」「ええ、今朝弁当もって会社に行きましたけど」。はいはい了解ですと電話を切った。「千代さん聴いてたやろ」と言うと彼女は顔を真っ赤にしながら「うちの娘は何であんなウソつくかね」と言い出した。いやいや、ウソついてんのはあなたですやん。
原因はギャンブルだった。そんな千代さんは、その後ガンになりあっさり逝ってしまわれた。家族は引き取りを拒否。抱樸主催の葬儀には野宿仲間をはじめ多くの人が駆けつけた。棺に花を手向けるおじさんたちが何かを千代さんに語りかける。聴くと「こいつには騙されたな」「金返ってこんかった」と言っておられた。悲しいやらおかしいやら。
しかし出棺の時、見送りの列から声が飛んだ。「おい千代、ありがとな」「また会おうな」。何がありがたいのか。また会えばまたやられそう。千代さんは大変な人だったが、愛された人でもあった。僕はこの人達は本当に素敵だと思う。共に生きるのは大変だけどおもしろい。千代さん、またお会いましょう。

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