社会

2/26巻頭言 「依存先を増やす」  西日本新聞エッセイ その10

(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
希望のまちは「助けてと言えるまち」なのだが、実は「助けてと言う」のはそう簡単ではない。「いざとなったら助けてと言いなさい」といってもいざとなってからでは難しい。例えば災害時など、日ごろやっていることの半分もできない。「助けて」も同じ。日ごろから使っていないといざとなっても言えない。日頃から、あまり気負わず「助けて」と言いたい。できれば挨拶がわりに「助けて」と言ってみては。「助けたろうか」「今度でええわ」「じゃあ、今度助けたるわ」。そんな日常はどうか。
僕の「助けて」を誰かが聴いてくれる時「僕は大事にされている」と思える。「自尊感情」である。それだけではダメで、そこに行けば「誰かに『助けて』と言われる」。すると「こんな僕が必要とされている」と思える。「自己有用感」である。「助けて」は双方性を持つ。
「自立」を「他に依存しないこと」だと考える人は多い。だが僕は違うと思う。「自立とは依存先を増やすこと」。東大の熊谷晋一郎さんのことばだ。本当の自立は相互に依存できる関係の中で成立する。だから自立した人には友達がいっぱいいる。ひとりぼっちで生きられることが自立だと思わないが良い。「助けて」と言えること自体が自立している証拠でもある。
それと「5回助けたから5回助けてもらえる」と考えるのも良くない。僕らは商取引に慣れている。「等価交換」という経済社会に生きている。だから同じ価値で交換できると考えがちだ。しかし「助けて」は、そんな取引のようなものではない。世の中には「助けることが得意」な人もいる。一方「助けられることが得意」な人もいる。僕はどちらかというと「助けるのが得意」。だからあまり苦にならない。それで「自己有用感」を得ている。当然、助けてもらうこともある。
「助ける」と「助けられる」。それぞれの得意をうまく組み合わせてまちが創れたらと思う。希望のまちは「助けて」で創るまち。

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