社会

1/29巻頭言「食べることとつながること」 西日本新聞エッセイ その➃

(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
ホームレス状態にある人々への炊き出しが始まって三十五年。配布されたお弁当は15万食を越える。
当初「なぜ、お弁当を配るか」について議論をした。食べることが出来ない人に食を配る。「いのちを守る活動」だと自認した。しかし、二カ月もしないうちに「それは言い過ぎ」だと気づく。一週間にお弁当を一つ配る。一食でも「助かる」なら意味はある。しかし、それで「いのち云々」は言い過ぎ。では、この活動に意味はないのか。
このジレンマは「子ども食堂」も感じておられると思う。2010年頃から「子どもの貧困率」が問題になった。一時期17%を超え六人に一人の子どもが貧困だと言われた。夏休みなど一日一食さえ口にできない子どもがいることが話題となり、各地に「子ども食堂」が生まれた。現在では全国7000カ所以上、北九州市内にも40カ所以上の子ども食堂が活動する。ただ月に一、二回の開催が一般的で、これでは「いのちを守る」とは言い難い(そもそも子どもが飢餓状態にあるのならそれは国の責任である)。
話しは戻る。先の議論だが、スタッフの一人が「友達の家に尋ねていくのに、お土産の一つぐらい持っていくだろう」と言い出した。一同はうなずいた。確かに「いのちを守っている」とは言い難い活動だが目的はそれだけではない。僕らは「友達」になろうとしていたのだ。お弁当は「つながり」を創るツールでもあった。
「子ども食堂」も同じ。「あそこに行けば信頼できる大人がいる。友達がいる」。その事実を子どもたちに伝えつながりの場となる。それも「子ども食堂」の重要な意味。
今週も炊き出しが行われる。一時期、一晩500食を越えたが今は100食程度となっている。最近は地域で困窮する方々も列に加わる。コロナ以後、一緒に食べることが出来なくなった。だから全国の支援者から寄せられた「手紙」を添えることにした。「食べること」と「つながること」。人が生きるために、どちらも欠けてはいけない大切なこと。

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