生きる

12/18巻頭言「キリスト教愛真高校 卒業感謝会 保護者代表感話 最終回」

(2019年3月9日息子の時生が高校を卒業した。その時の保護者感話)
「逃れの道(エクバシス)」は、「出口」と訳しても良いと思います。となると、やはり道は一本しかないのです。試練の道としか思えない、回り道だとしか考えられない、その道があなたの道なのです。しかし、その道の先に「出口」があるのです。いまの道は、無駄な遠回りではありません。それが、あなたの道なのです。どうぞ、あなたの道を進んでください。
さあ卒業です。これからが大変です。朝の卒業礼拝において、栗栖校長先生が詩編一編一~三節からお話しくださいました。「幸いなもの、悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かない人。主の教えを喜びとし、その教えを昼も夜も唱える人。その人は流れのほとりに植えられた木のよう。時にかなって身を結び、葉も枯れることがない。その行いは栄える」。
現代社会は、「あざけり」に満ちています。2016年相模原市で19人の重い障害のある人が殺されました。容疑者は「障がい者は、生きる意味がない」と言いました。これは、最もひどい「あざけり」です。しかし、それは嘘です。「神様は生きる意味のない、いのちをお創りになられるほどお暇ではない」からです。どれだけ障害が重かろうが、意味のないいのちなど存在しません。すべてのいのちに意味があります。そして、すべての人は、神が「流れのほとりに植えられた木」なのです。その木は「時にかなって実を結ぶ」のです。
あざけりの時代に皆さんは船出をします。「お前には生きる意味がない」と言われる時代です。多くの人が、このことばに怯え、そして自らを卑下しています。しかし、愛真で学んだ皆さんは、すべての苦難が無駄ではないことを知っています。誰がなんと言おうと「そんなことはない、無駄ではない」と伝えることが出来るのです。それこそが「悪しき者のはかり事に歩まない」生き方だと思います。一見無駄だと思う人生であるにも関わらず、どっこい生きていっていただきたいと願います。あなたにしか歩くことのできない、ただ一つの道を歩んで行っていただきたいと祈ります。
これかも、順風満帆とはいきません。皆さんも、愛真高校も。しかし、神様の祝福は、すでに備えられています。つまり、出口はあるのです。胸を張って無駄のない人生を歩んでください。私たち保護者もついています。大丈夫です。あなたの道を突き進んでください。
本日は、ご卒業おめでとうございました。

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