(幻冬舎の「やまゆり園事件」が文庫化されるにあたり、あとがきを依頼された。以下はその原稿)
私は、この事件を「時代の子」の立場として解読する必要があると考える。問答無用の住民反対運動、困窮者バッシング、ヘイトスピーチ、そしてやまゆり園事件。これらは同根である。その深層には何があるのか。私たちは、被害者の無念とご家族の思いを大切にしつつ、そのことを考えなければならない。
二〇一八年七月。私たちは、植松(当時被告)と面会することになった。確かめたいことがあったからだ。「生きる意味のあるいのちと無いいのち、という分断線を植松が引いた」と考える人は少なくない。だが、あの事件の前から分断線は存在していた。ならば、彼自身もまた、その分断線の前で問われ続けていたのではないか。「お前は意味のある人間か」と。そのあたりを本人に聴いてみたかったのだ。
事件直後の映像では、不気味に光った目、不吉な笑いが印象的だったが、面会室に現れたのは礼儀正しい青年だった。印象の違いを彼に告げると「人を殺すと頭の中に火が付いたような状態になります」と彼は坦々と答えた。
しかし、その後は「重度障害者は殺した方が良い」と従来の見解を述べ始め、さらに「移動と排泄と食事が自分で出来なくなったら人間ではない。そういう人は国家が殺した方が良い」。「そういうことを子どもの頃から教育する必要がある」と述べた。何も変わっていない。絶望的な思いがこみ上げる。
面会時間も終わりに近づき、私は知りたかったことを尋ねた。「つまり、あなたが言いたいのは、役に立つ人間は生きても良いが、役に立たない人間は死ね。そういうことですか」。彼は、すかさず「その通りです」と応えた。そこで「では、あなたは事件の直前、役に立つ人間だったのですか」と質問を重ねると、彼は少し間をおいて「僕は、あまり役に立ちませんでした」と答えた。この言葉に「やはりそうか」と私は思った。
事件前の彼は、無職、生活保護受給者、精神科病院への入院など、「彼自身の基準」に照らしても「意味のない側」に極めて近い存在だったのではないか。彼の言葉を借りると「あまり役に立たない」存在ということになる。いうまでもないが、それは彼の間違った認識である。だが問題は、この「彼の基準」が決して「彼のオリジナル」でないということなのだ。それは、ホームレス排除や困窮者バッシングの現実を見ればわかる。
つまり、こうではないか。「このままでは自分は意味のないいのちとなってしまう」と考えた彼は「役に立つ人間にならなければならない」と思い、障害者を殺害することでそれを果たそうとした。その答えは途方もなく身勝手で、誰からも褒められることはなく、さらに彼自身を破綻させ、完全に間違ったものであった。が、彼自身は、それを「世界経済の活性化」を成し、「保護者の疲れ切った表情」、「気の毒な利用者」、「職員の生気のかけた瞳」という問題を解消し、「日本国と世界の為」になると「確信」していたのだ(衆議院議長あての手紙)。あの事件は、「意味のない側」から「意味のある側」へと彼自身がジャンプするための手段だったのだと思う。 つづく
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