12/5巻頭言「あれから三年―松ちゃん、会いたいよ その㉝」

松ちゃんは、慣れない都会の出張で心細くなっていた僕を「そんなこともある」と繰り返し慰めてくれた。「そんなこともある」は、抱樸30年の歩みの中でしばしば僕らを救った言葉だ。オリジナルの造語ではない。普通の言い回しだし、誰でも一度は口にするような言葉だと思う。しかし、多くの「支援の現場」においては、この一言が言えずに来たのだと思う。というのは、「支援」とは、その人の抱えている問題を解決することを意味してきたからだ。だから「そんなこともある」で済ましてならない。あるいは「そんなこと」にならないようにするのが支援であって、支援する限り「そんなこと」があってはならない、というのが前提だ。だからこの言葉はいわば禁句であったのだ。
だが幸か不幸か(というのもどうかと思うが)抱樸の現場で出会った人々は、松ちゃんをはじめツワモノ揃い。一筋縄ではいかない人、問題がそもそもなんだかわからない人、解決したいと思っているのかわからない人、問題が無くなると次の問題をつくる人など、従来の「解決型」では収まらない人が多かった。「事件」が次々に起こる。手も足も出ない。どうすることもできず公園の片隅でいのちを閉じた人もいた。やり場のない怒り、情けなさ、くやしさが錯綜した。抱樸側の力量不足ということも当然ある。相手のせいばかりしている場合ではない。だが、そんな現場の現実と葛藤の中で解決型とは違う支援のかたちが生まれたのだ。「伴走型支援」である。「ともかくいきていたらいいではないか」「解決できなくてもつながろう」。解決重視の現場の人からは一見逃げ口上に聞こえるかも知れない。でも、それが実感だった。そして、究極の言葉として「そんなことぐらいある」が生まれ、いつしか僕らの中に沈潜していった。
解決をあきらめたわけではない。なんとかしたいという気持ちはある。しかし、解決一辺倒の支援では焦燥感しか残らない現実と向き合う度に「何もできなかった」と自らを責めた。そんな中で「あの言葉」に僕らはたどり着いたのだ。
「まあ、そんなことぐらいある」は現実を「認める」、あるいは「引き受ける」、いや、「あきらめる」に近い言葉だ。でも、「関係ない」とは言わない。「切らない」「断らない」。難しい現実にともかく「身を任せる」。「解決」にはほど遠いが、何も出来なかったわけではない。一緒にいて、右往左往し、その人のことで怒り、悲しみ、自分を責めた。そういう「つながり」がそこには存在していた。「まあ、そんなことぐらいある」は、伴走型支援を象徴する言葉だと言える。

つづく

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