戦後直後、三木清という人(京都学派の哲学者)が「人生論ノート」という本を書かれている。学生時代に読んだが、その時点で出版からすでに40年近くが経過していた。だが、この本に書かれていることは現在社会に一層蓋然性が高くなっているように思う。
「孤独というのは独居のことではない。独居は孤独の一つの條件に過ぎず、しかもその外的な條件である。むしろひとは孤独を逃れるために独居さえするのである。」「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にあるのである。孤独は『間』にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」―それは物質のものでなくて人間のものである。」
本当にその通りだと思う。今もそうだが、東京ではホテルの部屋で食べたり飲んだりすることが少なくない。呑むのは皆さんご存知の通り大好きな私だが、それはお酒が呑みたいというよりも誰かと一緒にいたいということなのだ。だから、東京で独り店に入るのはだいぶ勇気がいる。新橋辺りでは、どの店も満員状態。知り合いは当然だが独りもいない。そうなると一層の孤独を味わうことになる。「人は孤独を逃れるために独居さえする」。そうそう、その通りだ。混雑する店に独りで入る方が「孤独」なのであって、ならば一層独りでホテルの部屋にいる方が良い。それでコンビニで弁当を買って部屋呑みをする結果に終わる。会議で孤独な上に、一層淋しさが募る。
そんな日僕は、決まって松ちゃんに電話をした。「松ちゃんか」「おお、奥田さんや。また、東京らしいなあ」「そうなんよ、大事な会議やと思うけど、なかなか居心地が悪くてね」「へえ、奥田さんもそんなことあるんや。もう、ええから帰っておいで。呑もうや」「あはは、あかんやん。あんた断酒中やろう。でも、土産に酒買って帰るわ」「またか。あはは。まあ、世の中、いろいろあるから。理事長とかなって大変やな。早よ、帰っておいで。待ってるから」「ありがとう。おやすみ」。何のこともない電話でのやり取りなのだが、当時の僕にはそれが必要だった。僕の当時抱えていた問題がこの電話で解決するわけではない。松ちゃんが何かを助けてくれるわけでもない。でも、あの時の僕は、松ちゃんの「はよ、帰っておいで」のひとことに救われていたのだと思う。本当に失礼な言い方だが、あれだけ「破茶滅茶」だった松ちゃんが「そんなこともある」とひとことを言ってくれただけで僕は焦らなくなれるのだ。
つづく
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