抱樸では、この未曾有の事態に少々混乱が生じていた。いままでの枠組み(経験値)で対処できない事態が起きたからだ。自立支援住宅には「強制退去規定」というものがある。「断らない」ということを掲げてやってきた。だから、この規定自体、その理念に悖(もと)ると言える。しかし、「強制退居規定」があるからこそ「引き受け続ける意味」が深まるのも事実である。
「強制退居規定」を創ったのは、現在抱樸の専務理事をしている森松長生さん。彼のモットーは、「手放すな」「ケツ(出会った責任)を取れ」である。だから「強制退居規定」という彼の主義主張に合わない規定を、あえて作った張本人である。「強制退居規定」は11段階に及ぶ。「第一段階事実確認」から始まる。徹底的に本人の主張を基に事実に即して判断するということである。今風に言うと「ファクトフルネス」ということだ。一段階から始まって「強制退去」までに11段階のチェックポイントが定められている。しかし、森松さんのすごいところは最終の11段階目の規定にある。「その方の担当者が『俺が責任を持つ』と言ったら振り出しに戻る」と規定したのだ。これでは何のための「強制退去規定」か分からないが、この11段階に及ぶプロセスが重要だった。
これは当事者を守るという意味があると同時に、「所詮切り捨てる勇気がない情けない僕たち」を守るという意味もある。これは「なんでもOK」ということでもない。こういう回りくどいことを呼応的にやり続けるのは、伴走型支援、つまり「つながり続けることに意味がある」という支援論に基づいている。
そんな中で松ちゃんの「強制退去」を諮る「自立支援住宅委員会」が開催された。当然、松ちゃんの場合すでに10段階は終了していたし、ここまで破格の人はこれまでいなかった。「今回は、一度野宿に戻ってもらうことが良いと思う」という意見が出た。絶対にそんな意見は出ないと思っていた僕は内心慌てていた。しかし、最初に「俺が引き受ける」と言ってしまうと議論も何もなくなってしまう。それでみんなが何を言うのか我慢して聞いていた。会議参加者の最年長であった仰木節夫さんが立ち上がった。「俺たちは実家になるって決めたんやないのか。どんな、やんちゃ坊主でも、帰ってくる場所は実家しかないやないか」。仰木さんの一言に全員が自分を見つめた。仰木さんは、その感動的なスピーチを終えて座られた。「えええ、それでどうするのよ」と内心焦っていた。
えええい、儘(ママ)よ。「はい、それで行きましょう。ついては、私が引き受けますから継続でお願いします」ということになった。ただ、一人で引き受けることが出来ないのも事実だった。「では、今回は超困難ケースということで『チーム松井』を募集しますから、やる気のある人は応えてください」とお願いし会議は終了した。結果七人の『チーム松井』が結集した。松ちゃんは、本当に幸せな人だなあと思った。
つづく
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