松ちゃんは、子どもが好きだった。我が家の子どもたちは、ずいぶん松ちゃんのお世話になった。当時、末っ子の時生(とき)は幼稚園の年長組。時生がセミに興味を持っていることを知った松ちゃん。何とかセミを捕ってやりたいと考えた。だが、酔っ払いの親父に捕まえられるようなのんきなセミはおらず、松ちゃんの奮闘むなしく収穫はない。
ついに松ちゃんがセミをもってわが家の玄関に立ったのはもう夏も終わろうとしている頃だった。松ちゃんは、セミを捕獲する技術を手に入れたようだったが、なんだかそれが不可解だった。セミは、なぜか「マッチ箱」に入っていたのだ。「マッチ箱ゼミ」が毎日届く。そして、マッチ箱のセミは既に全員ご臨終されていた。なんとも言えない顔で「マッチ箱ゼミ」を受け取る時生。松ちゃんは「時生、松ちゃんがセミ捕ってきてやったぞ」と誇らしげだ。ひょっとすると、すでに召天済みのセミを拾い、マッチ箱に詰めていたのかも知れないが、そんなことは恐ろしくて聞けない。しばらくして、わが家の玄関には、標本が出来るほどのセミ(死がい)が溜まっていった。それは時生も感づいているようで、経緯は聞かず「松井のおっちゃん、ありがとう」と笑顔で答えた。うれしいそうに松ちゃんは笑った。
松ちゃんは悪くない。当然悪気もない。正しくないかも知れないが、間違ってはいない。ともかく憎めない。いや、その一生懸命さは、痛々しくさえあった。あの頃の松ちゃんは、変わろうともがいていたように思う。僕は、そんな松ちゃんがますます好きになっていった。
4、がまんくらべ
そんな少し光が見え始めたかと思えた夏も終わり、秋となった。その日は、生活保護の受給日だった。朝、いつも通り新聞を届けにきた松ちゃんに「保護費を受け取ったらちゃんと帰っておいでよ」と声をかけた。松ちゃんは、笑顔で「おい」と返事をして出かけて行った。
夕方。松ちゃんが帰ってこないという連絡が入った。翌朝、部屋を見に行ったが、やはり不在。あちこち探しまわったが見つからない。そして、三日目の夜。
教会の「聖書の学びと祈祷会」の最後、松ちゃんが帰ってこないと報告し、皆で無事を祈り解散した。会に参加していた青年の一人から電話がった。「奥田牧師ですか。今、祈祷会の帰りにスーパーに寄ったら、入り口に松ちゃんらしき人が寝てます」とのことだった。お祈りが聴かれたと言えばそうなのだが、たぶん、それは新しい試練の始まりを意味していた。車でスーパーに駆けつけた。間違いない。松ちゃんだ。「松ちゃん。大丈夫。どうしてたの。さあ、帰るよ」と抱きかかえるように車に乗せる。酒臭い。自立支援住宅に送る途中、事情聴取を始める。
つづく
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