(カトリックの雑誌「福音宣教」12月号に寄稿しました。)
二、ハウスレスとホームレス―社会的孤立の時代に
自己紹介を兼ねてNPO法人抱樸について触れたい。コロナによって「他者」は忌避の対象となった。感染対策上「ソーシャルディスタンス」は必要だが、そもそも世界で最も社会的孤立が進んだ日本にとってこれは大変痛い事態となった。OECD(経済協力開発機構)が2005年に出した「社会的孤立」に関する調査によると日本の孤立率は15.3%。米国3.1%、英国5%に対してはるかに高い。20ケ国中最も孤立が進んだ日本にコロナは追い打ちをかけた。「人と関わらない」ことがコロナによって「善」とされた。
1988年12月、野宿状態の方々に弁当を届け、相談を受けるという活動が始まった。以来33年の活動となる。これまでに路上から自立を果たした方は3,500人を超えた。一年後、居住支援が始まった。当時、私たちは路上生活者の「困窮」を「家が無いこと」と「仕事が無いこと(仕事が出来ない人には生活保護を申請)」と捉えていた。最初に入居されたのは70歳男性。長年路上生活をされていたが無事に入居され生活保護受給も始まった。私たちは安心した。だが、数か月後、大家から「異臭がする」との連絡が入る。慌てて訪ねるとライフラインはすでに止まっており家はゴミ屋敷になっていた。幸い本人はお元気だったが、なぜ、こんなことになったのか。
私達は二つの要因を考えた。一つは個人的要因。何等かの障害があったのか、あるいは自立生活の経験が無かったのか。もう一つは社会的要因。端的に言って入居後、尋ねる人がいなかったということである。人はいつ掃除をするか。あるいは人はなぜ掃除をするのか。衛生的なニーズは当然であるが、私などは「お客さん」が来るタイミングで一生懸命掃除をする。つまり、他者の存在が行動の動機となるのだ。これは掃除に限らず労働においても同様である。人は何のために働くのか。お金のため、食べるため。確かにそうだ。しかし、正確には人は誰のために働くのかが正しい問いだと思う。このアパートの一件は「自立が孤立に終わる」という課題を突き付けた。その後、私たちは、自立と共に孤立を防ぐ仕組みづくりに専念した。
路上で「畳の上で死にたい」と言っていた方がアパート入居される。しかし「これでもう安心」とは言えない。「俺の最期は誰が看取ってくれるか」。この「誰が」という問いへの「答え」を欠いた状態では本当の自立はできない。抱樸は「この人には何が必要か」と「この人には誰が必要か」を同時に考えた。そして「ハウスレス」を「経済的困窮」、「ホームレス」を「社会的孤立」と意味づけた。ハウスとホームは違う。
つづく
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