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2/7巻頭言「祈りの中で―共生地域創造財団十年」

東日本大震災から10年が過ぎようとしている。私たちはあの日、大自然の脅威と原発事故に表された人間の限界をまざまざと見せられた。現地に入った私は、あまりの光景に絶句したことを覚えている。にわかに現実の出来事とは思えない町を移動しながら、私は語ることもできずただ黙っていた。「がんばろう!東北」という励ましが全国から届いた。だが、言葉を失った人々にはそれはどう聞こえたのだろうか。
沈黙は絶望の闇に私たちを引きずり込む。刻一刻と変わる福島の状況に足がすくんだ。取返しがつかない事態が明らかになるにつれ、私たちはさらなる沈黙へと追いやられた。黙りこくって事態が過ぎ去るのを待つしかない。いや、現実はそれほど甘くはなかった。
だが、そんな深淵の闇の中で私たちは気づかされた。沈黙が祈りへとつながることを。人は言葉を失い祈り始める。「言葉で」ではない。沈黙が祈りなのだ。そんな祈りが希望をつなぎとめようとしていた。
祈りの中で共生地域創造財団は生まれた。生活クラブ生協、グリーンコープ、ホームレス支援全国ネットワーク、それぞれにつながる人々の祈りが形となった。石巻、大船渡、陸前高田、大槌に拠点を構えた。スタッフは今日も伴走の日々を過ごしている。現地で出会った方々との協働が積み上げられていった。災害の中で誕生した財団は、その後発災の度に全国の被災者へと駆けつけた。
絶句せざるを得ないような闇の中で祈りは生まれた。共生財団が目指す伴走型支援は「闇払い」ではない。それほど事柄は「安易」ではない。闇の中に留まらざるを得ない人々が知る「闇の冷たさ」をわが事としたい。同じには成れないが、一緒にいることは出来る。何もできない。ただ、ただ闇の中で一緒にいる。再び立ち上がるその時を共に待つ。財団の目指す伴走型支援である。
「最も小さくされた人々に偏った支援を行う」。財団のミッションである。「偏った支援」は、公益財団法人にはふさわしくないと言われる。そうかもしれない。しかし、私たちは「ひとりとの出会い」にこだわり、「ひとりにしない」ことを目指した。「共生(財団)」は、それで良いと思う
十年を前にしてコロナがやってきた。追い打ちをかけるように闇が深まる。でも、私たちは恐れない。どんなに闇が深くても、そこに祈りが生まれ、祈りが友を結び、祈りが希望となることを私たちは、知っているから。財団の仕事は終わらない。旅の果てにどんな社会が生まれるのか、私たちは祈りつつそれに備えたいと思う。10年間の支援を心から感謝申し上げたい。
10年目のあの日が近づいてきた。東北に赴き、祈りの中で迎えることとしたいと思う。

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