沢知恵コンサート「かかわらなければVol.2」が開催された。昨年は、最後で号泣してしまい沢知恵に笑われた。今年は絶対泣いてやるものかと思い頑張るつもりだったが、一曲目。「Listen to My Voice」から始まると思いきや「久しく待ちにし」。やられた!「久しく待ちにし 主よ とく来たりて、み民のなわめを 解き放ちたまえ、主よ 主よ、み民を救わせたまえや」。この曲から始まったら泣いちゃうじゃないかよお。
嫌なことばかり起こっている。事件、事故、災害、政治は混とんとし権力者の横暴ぶりは目に余る。この国は一体どうなっているのか。僕は僕で忙しくて目が回る状況。やりたいこと、やらねばならないことが溜まっている。ゆっくり本も読みたいし。ボンヘッファーをドイツ語で読むなんて一体何年やっていないか。まあ、もともとドイツ語苦手だけどね。僕は一体どうなっているんだと自分を怪しむ。切羽詰った状況なのだが、自分と言えば空っぽで。腹が減っているのか、食べ過ぎなのかわからないような、ムカムカしている日々を過ごしている。自分のおへそを見つめ、うつむきかげんに過ごしていた時、「主よ、来てください」との祈りの歌が聞こえた。
希望は外から差し込む光のように向こうから訪れる。自分の中に見出すことは難しい。救い主の到来を待ち望み、縄目からの解放を祈る。当日は曇り空だったが、その分、礼拝堂の天窓からはやさしい薄明りが注いでいたのに気づいた。
「ありのままの私を愛して」が歌われた。沢知恵作詞作曲。ある高校からの依頼で作られたという。沢さん自身が生徒の話しを聞き、この歌詞は生まれた。僕が沢知恵らしいと思ったのは「背伸びしてもいいじゃない」という部分。最近の世間はそうは言わない。中途半端に意識のある人は一層言わない。「背伸びしなくていいんだよ」「無理しなくていいんだよ」。とかく優しい。
でも、生きるというのはそうはいかない。ある時は闘いで、がんばるしかない日もある。沢知恵が優しくないと言いたいのではない。ただ、たぶん沢さんも、僕も、そして東八幡キリスト教会も、やっぱり背伸びしながら生きてきたのだと思う。多少無理しながら、カッコつけながら。人と出会い一緒に生きるということは、そういうことを伴うのだ。「頑張らなくてもいい」そのことを基底に置きつつも、沢知恵は人間の現実に迫る。実は、この歌詞について打ち上げの席で尋ねた。やはり「背伸びしなくていいじゃない」ではなく「背伸びしてもいいじゃない」だった。おおおお、さすが沢知恵だ。
アンコールは、今話題のボブディラン「風に吹かれて」。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである」(ヨハネ福音書三章)を思いながら聞いたぞ。ドイツ留学を断念した時、関田寛雄先生が来てくださり「奥田さん、風に吹かれなさい」と仰った。風はギリシャ語でプネウマ、神の霊と同じ言葉。「その答えは風の中さ、風が知っているのさ」。さて、もう少し背伸びしてみるか。 それしても沢知恵はええぞ。
この記事へのコメントはありません。