社会

8/23巻頭言「ポストコロナを生きるために その⑯」 

だからこそ、私の主体的な決断が他者から問われることになる。新型コロナ騒動の初期、トイレットペーパーが無くなるという現象が起こった。原因は、コロナの影響でマスクと同じくトイレットペーパーの生産が止まるという「デマ」だった。この件については、すでにWEB論座「トイレットペーパーはなぜ消えた?新型コロナ禍で失ったものと本当の闘い」で述べたが、私が指摘したのは「無くなったのはトイレットペーパーではなく、私達の中にあるべき他者だ」ということ。自分の決断が他者にとってどのような意味が持つのか。私達は、他者を通じてそれが問われる。個人が求めた幸福が他者にとって意味があるのか。それが検証されなくてはならない。
最後に、ではその「他者とは誰か」ということである。それには「もっとも小さくされた者」が含まれなければならない。「もっとも小さくされた者」には「認識論的特権」があるからだ。調子よく生きていきた私のような者にはわからない「事実」が彼らには見えている。ポストコロナの模索には、彼らから聴き、学ぶことが不可欠なのだ。「もっとも小さくされた者」は、保護の対象ではない。コロナ禍において最も苦しんだ者、最も小さくされた者のまなざしが、あるべき未来を指し示す。それが無ければ、これまでの焼き直し、あるいはごまかしで終わる。
8.おわりに―ステイホームとフロムホーム、そして希望
ステイホームの結果、感染は一定抑えられている。だが、この数か月「三密を避ける」、「不要不急の外出を控える」、「自粛」など、私達は「やらないこと」「止めること」を考えた。しかし、本当にそれだけではいのちを守ることはできない。何もしないで人が助かるのではあれば、抱樸の30年は、それこそ「不要」と言わざるを得ない。
ゆえに抱樸は、フロムホーム「#家から支えよう」と呼びかけた。それが、今回のクラウドファンディングのテーマである。寄付の本質は、かわいそうな人、困っている人を余裕のある人が助けることではない。日本は災害など不幸が起こらないと寄付が集まらない。これはこれで大事だが、それではマイナスを埋めるとしかできない。大切なのは、新しい社会の創造である。寄付の本質は、社会創造への参与である。寄付者は、新しい社会を構築する主体なのだ。だから、今回のクラウドファンディングは、この論考で述べたように、これまでの社会の脆弱性や矛盾を是正し、新しい社会の創造のために使われる。具体的には、失業したとしても住居は失わない社会を創造すること。すでに2,000人以上の方々が賛同下さった。ここに希望を見出す。目標の一億円にはまだまだ遠いが必ず達成できると信じている。
多くの人が「いつまでこの苦難は続くのか」「いつこのトンネルを抜けるのか」と嘆いている。明けない夜は無い。だが、夜明けはまだ遠いと皆が下を向いている。果たしてそうだろうか。
つづく

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