社会

8/16巻頭「ポストコロナを生きるために その⑮」 言

先日、ホームレスの炊き出しでマスクを配布した。「いや、感染の心配よりも、これがないと町を歩けない方が大変。そうでなくてもホームレスは排除されている。その上マスクをしていないと犯罪者扱いされる」との声が返ってきた。さらに「自粛警察」なるものも登場。自粛要請に応じない個人や商店を私的に取り締まり攻撃する。私の尊敬する先輩牧師である平良修さん(88)は、「政府が『国民精神総動員』を掲げ、異論を許さなかった七五年前を今でも覚えている。当時、正直な気持ちを簡単に口に出せなかった。新型コロナウイルス感染防止の対策が進む半面で、他者と異なる行動を許さず、厳しく追及する現在の空気が75年前と重なる」(6月18日琉球新報)と語る。
他人に決めてもらうのではない。自分で考え決めるのだ。それが「自粛」に他ならない。かつて安保法制が審議される国会で「どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください」と青年は呼びかけた(2015年9月15日中央公聴会)。あの言葉は、今回の「自粛」状況において聞くべき言葉だと思う。
「自粛」という名の集団に身をゆだねることで私達は「安心」しようとしたのではないか。あるいは、それをもって「みんながそうだから」とあきらめたのではないか。これもまた、コロナ以前の社会が持っていたものだった。ならば、私達はまず「孤独」を引き受けなければならない。独りになって「孤独に思考し、判断し、行動」するのだ。日本国憲法の最も重要な条項は、九条(戦争放棄)であり、二五条(生存権)だと言える。ただ、上記の観点から憲法一三条もまた最も重要な条項だと思う。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。すべての国民は、個人として尊重される。個人として自分の幸福を追求する権利を持つ。一斉休校、一斉自粛。「一斉」が絶え間なく押し寄せる日々、私達は「個」をいかにして保つことが出来ただろうか。
次に重要なのは、「他者」である。「個」の確立に不可欠であるのは「他者」である。人は、自己の状態、あるいは「自分自身」を知るために他者を必要とする。孤立している者は、自分がどれほど危機的であるさえ気づかない。「大丈夫ですか」と声をかける。路上の青年たちは「大丈夫です」と答えた。だが、その後、横に座り話し込む。徐々に彼は自分の状態に気づく。遂には、青ざめ「助けてもらえますか」と言い出す。人は、他者の存在を通じて自分を知るのだ。 
つづく

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