社会

3/29巻頭言「無くなったのはトイレットペーパーではありません」 最終回

私自身、そんな日々を生きてきた。NPO法人の活動は、出会う中でどんどん変化した。ひとりのホームレスとの出会いは、32年間で子ども支援、家族支援、若者支援、障害福祉、介護事業、刑務所出所者など27事業に及ぶ。いっそ誰にも出会わず暮らす方が楽だと思う時もある。
しかし、そうはいかない。「他人の痛みを自分の痛みのように感じるのが人間」だからだ。それを回避することは一見楽に見えるが、「それでは動物と同じ」になる。
「自分の中に何人が住んでいるか。それが人として生きることなのだ」と灰谷は、買いだめに走る私達を諭してくれる。
■「最悪の病」を克服するために―出会うしかない
ある調査では、「自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わない」と考える人は、日本では38%に及ぶという。ちなみに米国28%、中国9%、英国8%、仏国8%、印度8%、独国7%。日本が極端に高いことが解る。常態化した自己責任論社会となっていた日本社会。新型コロナウイルスは、助けない理由として、「自己責任」が語られる現状に拍車をかけた。そして私達は「他人」を自分の中から追い出した。
人は、先が見えない状況において本能的に「自己中心・自己保身」になる。これもまた当然とも言える。しかし、人は本能だけで生きているのではない。
灰谷は「動物とは違う」と私達を励ます。私達は、この本能と闘うことができる。なぜならば、人は自分の中に自分以外の人間を住まわせることが出来るように創られているからだ。
いずれ新型コロナウイルスは治まるだろう。この間の世界経済の停滞や自粛に伴う失業なども心配される。コロナはすでに社会の根底を揺るがし始めている。しかし、その上この他者を失った者たちが人間性を回復できなければ、この国は亡びる。
マザーテレサは言う。「最悪の病気と最悪の苦しみは、必要とされないこと、愛されないこと、大切にされないこと、全ての人に拒絶されること、自分がだれでもなくなってしまうこと」。新型ウイルスの病禍が過ぎた後、「最悪の病気」を日本に、そして世界に蔓延させないため、私達は「自分の中に何人の他人を住まわせることができるか」に挑戦しなければならない。
感染は正直怖い。しかし、いつまでも閉じこもってもおれまい。少し勇気をもって出かけよう(マスク、うがい、手洗いはしつつ……)。そして人と出会おう。出会って、その人に住んでもらおう。自分勝手に生きることが出来ないように。
つらくて苦しいが、でも、人として胸を張って生きていく。いかなる病気になろうが、支え合える社会を築くことこそが、私達が人として生き延びるのには必要だからだ。
終わり

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