ホームレス自立支援法が成立したのは2002年夏。以来「ホームレス自立支援」は「国の責務」となった。北九州市においても2004年から官民協働の支援が始まった。2003年、初の全国実態調査で2万5千人のホームレスが確認された。あれから17年、全国のホームレス数は5000人を切った。「自立支援」は有効に機能した。だが、現実はそう単純ではない。
先日、台風19号が各地を襲った。その最中、ホームレスの避難所への受け入れを東京都台東区が拒否するという事件が起きた。先に述べた通り「成果」は明確であり、ホームレスの人数は激減した。だが、台東区の一件は「社会は何も変わっていない」という事実を突きつけた。
ホームレス自立支援には、常に相反する二つの「動機」が存在する。一つは「いのちを守る」ということであり「野宿するその人を大切にする」ということだ。本来、それだけで十分なのだ。しかし、もう一つの動機が存在する。つまり、「地域の治安のため」であり「町の活性化のため」である。後者の動機においては、ホームレス自立支援は「合法的な排除」の危険性を持つことになった。街中からホームレスの姿が消え、人々は「ホームレス」と向き合う機会を失った。そして、悩むことも、考えることもしなくなった。「ホームレス自立支援」が前者の動機で貫徹されたなら、社会は「いのち」に対する深い洞察と共感、そして「普遍的価値」を見出すことになっただろう。しかし、後者の動機では、かつてホームレス排除に動いた地域が「自立支援」の名の下に、ホームレスを街から「穏便に退場していただく」こととなる。それが「きれいなホームレス排除」に過ぎないのなら、今回の事態は当然の帰結だと言わざるを得ない。改めて言うが「ホームレス自立支援」の目的は、当事者が「その人が生きること。その人として生きる」ことである。
だから「社会啓発」は第一の目的ではない。しかし、ホームレスが「社会的排除」の対象であったことも事実であり、社会もまた問われるべき主体であったのだ。だから、「ホームレス自立支援」は、「対個人(ホームレス本人)」であると共に「対社会」の事柄であらねばならない。法整備から17年。台東区は日本三大寄せ場である山谷を抱える地域である。数多く支援団体も存在する。その地域で今回のことが起こったのは、私たちが担ってきた「ホームレス自立支援」が分断社会を変革するところには至っていないことを明らかにした。ホームレス状態にある人が自立することと「社会の発展」は同時的事柄でなければならない。今回のことは、私にとっての活動開始30年を問う出来事となった。
この人(一人)の救いは、すべての人の救いと同義的でなければキリスト教も問題だ。「クリスチャンだけが救われる」と教える限り、教会は「差別」の当事者に過ぎない。ホームレス支援が世界の解放に資するのでなければ「ホームレス支援などをしない方が良い」とさえ私は思うのだが。少し言い過ぎました、すいません。
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