台風19号は多くの人命を奪い、今も被災者を苦しめている。NPO法人ホームレス支援全国ネットワークは現地団体と連携し支援活動を進めている。
台風が関東を直撃していた最中、東京・台東区の避難所が「住民ではない」との理由でホームレスの受け入れを拒否した。これについて台東区の災害対策本部では「路上生活者は避難所を利用できないことを決定している」と回答したという。あの日、テレビは「いのちを守る最大限の努力を」と繰り返し呼びかけた。災害救助法では「現在地救助の原則」を定めており、住民票に関係なく現在地の自治体が対応することになっている。当然だ。「いのち」が何にも優先されるからだ。しかし・・・。この間、まるで「意味のあるいのち」と「意味のないいのち」があるかのような主張がなされ、「歪んだ生産性偏重の圧力」が人を分断した。重い障害がある人々が「意味がない」と殺された。今回の件は、役所の問題であると共に、このような「排除」や「差別」を助長することになる。「ホームレスになったのは自己責任。だから助ける必要はない」という社会の「空気」がこの件を後押ししている。
NPO法人抱樸は、「あんたもわしも おんなじいのち」という言葉を掲げて活動を続けている。これは読んで字のごとく「当然のこと」を書いている。作家の雨宮処凛さんが台東区の件に触れた中で抱樸について書いてくれた。「なぜ『おんなじいのち』なのだろう?(中略)そんなに大きく書くほどのことなのかな。(中略)しかし、今回のことを通して、痛感した。『おんなじいのち』と、常に声を大にして、テントにも大きく書いておかないと、そんなことすら理解してもらえない。同じ命という扱いを受けられない。それが、この国のホームレスを巡る実態なのだ。」
実はこの言葉を掲げた理由は不条理な排除社会への抵抗と共に「自戒」が込められている。1997年から98年にかけてホームレスが急増した。自殺者が三万人を突破した時期に重なるが、アジア通貨危機の中、山一証券など企業倒産が相次いだのだ。それまで炊き出しはすべて巡回型で行っていた。一晩に数十キロと移動しながら訪ねた先で座り込んで話した。だが、増加するホームレスの現状に対応するため、炊き出しのスタート地点を公園とし、そこにまず集まってもらうことにし、来られない人のところはその後巡回する形に変えた。「拠点炊き出し」のスタートである。当事者と共にテントを立て、準備ができると机が配置される。そして、テントの中にボランティア、外側におじさんたちが並ぶ。私はメガホン片手に「はい、ちゃんと並んで!」と呼びかけていた。すると列の中から声が上がった「奥田さん、ついこないだまで弁当を一緒に食べてたやないか。なのに今日は俺たちに『並べ』と命令する。あんたいつからそんなに偉くなったんか。『あんたもわしも おんなじいのち』やないのか」。恥ずかしかった。私たちは、「あの日の恥ずかしさ」を忘れまいとテントにこの言葉を掲げた。「おんなじいのち」。この普遍的価値に立ってこれらも活動を続ける。普遍的価値をないがしろにするものとは断固闘う。しかし、それは「あの日、恥ずかしかった自分」との闘いでもあるのだ。
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