これまで「星の下」の意義について述べてきた。「星の下」は、東八幡キリスト教会が「つながる」ことを福音の本質として見出した結果生まれた。私たちが既に神につながれていること、すなわちイエス・キリスト(インマヌエル)によって「すでに共われている」という事実が「救い」であると認識した結果だ。
しかし、分断と孤立が進む社会において「自分は独りぼっち」と嘆く人が増えている。また、孤立状態は、自己認知機能を低下させる。なぜならば、人は他者や他者との出会いを通じて自らの存在意義や役割を見出すからだ。「つながり」が無くなると自分が分からなくなり、生きている意味さえ見失う。そういう人間の現実、つまり聖書の言うところの「人は一人でいるのは良くない」(創世記)という現実に対して「あなたはすでに神様とつながっている」という「福音」を伝えるのが「星の下」である。
ただ、このことを実行するにはいくつかの課題がある。
第一に、「星の下」の意義や必要性、無縁社会の現実と福音の現実を私たちがキチンと納得すること。
第二に、すでに「つながり」の中に生きていると自覚するキリスト者が「つながりの主体」であることを認識すること。そのための「使命」があることを認識すること。
第三に、「つながる」ための仕組みを整えること。そのために祈り、献金し、奉仕すること。「星の下」は、インターネットを活用するので大きな資金は不要。本来、システムの構築や維持を専門業者に発注すると相当のお金が必要となるが、幸い東八幡教会には特別な技術を持った会員が与えられており、これまで彼らの奉仕と努力で仕組みが出来上がっている。改めて感謝!
第四に、「星の下」に登録したメンバーと既存の教会のメンバーの相互的な交わりなど、今後の「星の下」の運営やあり方を考えること。技術担当に加え、企画や運営を担当するスタッフを加えた「星の下委員会」が必要となる。さらに「星の下」のメンバーも神の家族であるから、現在の教会員同様相互に責任を持てる仕組みが必要。もしも、星の下のメンバーから「助けて」との声が届いた時、私たちはどうするのか。教会からの「助けて」が届いたら「星の下」メンバーはどう応えるのか。今後の展開に関する議論を始めたい。
第五に、「教会の形」に関する議論が必要であること。これまで東八幡教会に限らず、多くの教会は「教会員=礼拝に集う人」が前提となってきた。教会員は、バプテスマに始まり、礼拝出席、献金、奉仕など、教会と宣教を支える人々を指した。「星の下」のメンバーはそういうわけにはいかない。そもそも「家から出られない人」を前提に始めた「星の下」である。従来の「教会においでなさい」という言葉は無理を押し付けているに過ぎない。しかし、教会と福音の本質が「つながる」ことにあるなら、「星の下」のメンバーもまた「教会員」となることはできないのか。議論することが必要だ。いずれにせよ、「私たちは神の家族である」という事実に立って議論することが重要である。
次回は、上記第四の課題。「星の下」の相互性に基づく運営に関して考える。
この記事へのコメントはありません。