2019年8月6日北野孝友さんが天国へと旅立った。68歳。1999年末に小倉で野宿に。その後自立され2002年にキリスト者となられた。信仰告白の冒頭「まず始めに、今までの私の人生を顧みますと、なんと好き放題、やりたい放題だったことかと思わざるを得ません。金は、使うし、家のものはもって出て売るし、お袋に小遣いもらうし、サラ金は借りまくるし、使いたい放題でした。」しかし、当時始まりだした「就労支援」の先陣を切られることになる。
自立は実に奇跡的だった。「駅の通路に段ボールを敷き、寝るようになりました。そして、2ヶ月ぐらいがたちいよいよどうしょうもなくなり、死のうと思い紫川に行きベンチに横になっていました。そこに外国人の女の人が私の所に近寄ってこられ、私に手を置いて『いのちを大切に』と言われました。その人はマッキントッシュ牧師の奥さんだったのです。私はこの一言で救われたのです。」(2002年10月2日信仰告白より)。マッキントッシュさんは、当時在日大韓小倉教会牧師。お連れ合いのエリザベスさんはNPOのボランティアだった。なぜ、ベスがあの日、ベンチの北野さんに声をかけたのか。しかも「いのちを大切に」と。北野さんは振り返る。「あの時、あの方と出会わなければ、私はいのちを断っていた。あの一言が無ければ、今の私はいない。出会いは大切だと思います。」(同上)
聖書は言う。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(マタイ7章)。でも、人生には「求めることがしんどい日」がある。捜す気力もなく、たたく力も残っていない。あの日の北野さんは、そんな状態だったのだと思う。彼の心の戸には絶望という鍵がかかり開けられない状態になっていた。
しかし、聖書は別の救いのイメージも提示する。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録3章)イエスは閉ざされた戸をたたき続けている。戸をたたき「いのちを大切に」と声をかけて続けるイエス。やがて私達は、大事なことを思い出す。「私は生きたかったのだ」と。絶望する者は、これを一人で思い出せない。戸の前に立ち、あきらめず戸をたたき続ける他者の存在が必要なのだ。イエスは、ベスさんの姿を借り北野さんの戸の前に立ったのだ。しつこく、しつこくたたき続けた。さすがの北野さんもこのしつこさに負けたのだ。
私達もたたき続ける人であり続けたい。諦めてはいけない。五回たたいたからもう十分だと思ってはいけない。六回目かも知れない。「50回たたいたのに応えないのはその人の自己責任だ」とは言わない。51回目かも知れないからだ。愛とはしつこさであり、愛とは止(や)める勇気のなさであり、愛とはあきらめが悪いということだ。
北野さんは、大切なことを証された。少し早いお別れ。嫌だがしょうがない。今回だけはあきらめる。でも、また会う日を信じている。
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