生きる

11/18巻頭言「金子千嘉世先生追悼文」その④

(10月20日に金子千嘉世先生が召された。葬儀には行けなかった。それで勝手に追悼文を書いた。)
 千嘉世さんは、会う度に僕をマッサージしてくれました。これは大変助かりました。天城山荘でも、連盟会議室でも、いつもいつも「先生、疲れとっちゃろ」と。はい、疲れてますよ。今日もね。なんせお互い「恵まれた人」ですから、人一倍疲れるわけです。疲れている千嘉世さんが、疲れている僕を揉んでくれる。これが飛び上がるほど痛かった。「イテテ」と言うと「ああ、なるほど」とあなたは冷静で「どこどこが悪いっちゃね」と解説しながら、一向に止める気配はなく、もっと飛び上がらせてくれました。周りにいた牧師さんたちが「おくやんだけズルい」と言うと、あなたは次々にマッサージしていました。
 僕は、正直に言うと「僕は特別」とどこかで誇りに思っていました。「千嘉世先生は、僕だけ特別に大事にしてくれている」と。これは事実ではないと思います。千嘉世さんは、不思議な人で、千嘉世さんと出会い、千嘉世さんに色々とお世話してもらった人は、たぶん全員が「自分は特別だ」と思っていたのではないでしょうか。あなたは、そんな風に人に感じさせ、それぞれの自尊感情を最高に高めることができる不思議な人でした。だから、今頃、全国でものすごく大勢の人々が「僕を特別に大事にしてくれた千嘉世先生が召された」と特別に悲しんでいます。しかし、それは幻想ではないと思います。確かに、僕は千嘉世さんから特別に愛されたと言えるから。みんなもそうだと思います。最後に緩和ケアの病室を見舞った日。2時間ぐらい話しましたね。その日もあなたはいつも通り「先生、手出して」と言い、僕は手を出しました。ツボを押すあなたの手には、いつもの力強さはありませんでした。もう飛び上がる程痛くはありませんでした。「時」が近いことを知りました。最後のマッサージは心が痛いマッサージでした。余命いくばくもないと自称する人が、他人の手をマッサージするのはどうかと思いますよ。いや、それ以上に「じゃあ、お願いします」と手を出す方もどうかしていますよね。それは「特別な時」でした。
 さて、長くなりました。そろそろお別れです。最後のお見舞いの日に読んだ聖書を覚えてますか。僕は少し早い葬儀説教のつもりでお話しをしたのでした。
「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、
栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。」
(コリント人への第二の手紙三章一八節)
 私達の行先は決まっているわけです。行きつく先はすでに決定済みで、テレビの水戸黄門は、どんなに苦境に立たされても、時がくれば助さんと格さんが印籠を持ち出し黄門さまが登場し、すべてが一件落着する。これはもう決まっているのです。あれと同じ、いや、それ以上に厳格に決まっているのです。今、どんなに苦しくても、結論は「栄光から栄光へ」と。これが人生の結論と聖書は宣言します。千嘉世さん、それを今、本気で信じなければならない。
つづく

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