(10月20日に金子千嘉世先生が召された。葬儀には行けなかった。それで勝手に追悼文を書いた。)
あの頃、貢司先生と二人で「宮崎県のすべての家にチラシを配る」と毎週のように山間地を歩き回っておられましたね。「平和宣言」などと言うと「社会派牧師の活動」と思われがちですが、そんな「伝道熱心な千嘉世先生」の参加は大きな影響を与えました。自分でいうのもなんですが、かくいう私も「伝道熱心な福音派の牧師」です。そのことを何よりも認めてくださったのが千嘉世先生だったように思っています。「平和宣言」は、主イエス・キリストに対する服従行為として、あるいは十字架の恵みに対する応答として「平和を創り出すこと」を目指すものでした。「イエス・キリストに愛され赦された者は、どう生きるべきか」。それに応えて生きるのが「平和宣言を生きること」だと考えたわけです。
原案の起草に当たったのは、私と谷やん(谷本仰牧師)でした。神学的支柱としたのは、ボンヘッファー神学です。中でも「安価な恵みと高価な恵み」から大きな示唆を受けました。安価な恵みは、罪の赦しを説く。それは十字架(審き)抜きの恵みです。「高価な恵み」は、罪を審き、罪人の赦しを説く。「罪の赦し」はないのであって、あるのは「罪人の赦し」です。「赦された罪人として平和を創る」。これが平和宣言の基本スタンスだと言えます。
この「高価な恵み」をめぐる議論を受肉させたのは千嘉世先生、あなたでした。覚えてますか。ある日の会議で千嘉世先生がこんな話をしてくださったのです。「私のところには夜の仕事をしている女性が時々訪ねてくるちゃね。商売の中で望まず妊娠してしまう。中絶せざるを得ない彼女らの相談に乗るわけ。最初は『それはあんたのせいじゃなか。しようが無かろうもん。あなたは悪くない』と慰めてたんよね。でも、彼女らどうしてもすっきりしない顔で帰って行く。ある日、意を決して『いろいろ事情はあったとは思うけど、堕胎はやはり、いかんこと。それは罪よ。でも、実際には産めない。罪は罪。それは審かれないといけない。イエス様は、あなたの罪の審きを受けてあなたの十字架に架かられたんです。だから、赦された罪人としてあなたは生きなさい』と言ったらね、彼女らに笑顔が戻ったんよ。神様の恵みちゃ、これやと思いよった」。
この千嘉世先生の話しを聞いて僕の中に平和宣言の骨格が明確に浮かびました。それは「平和宣言 結語」の一文に込められています。「極限状況は暴力とその正当化へと私たちを誘惑する。しかしたとえそれが愛する者を守るための暴力であっても、その暴力行為によって私たちは主イエスの十字架の下で審かれる。私たちは主の審きと赦しのもとで十戒を生きるしかない」。本文を書く前にこの結語が決まったのです。千嘉世先生の現場での葛藤が「平和宣言」を位置づけたと言っても過言ではありません。ちょっと持ち上げすぎかな?まあ、追悼文ですから少々サービスしておきます。
つづく
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