自民党の杉田水脈議員(衆議院比例中国ブロック)は、「新潮45」への寄稿文「『LGBT』支援の度が過ぎる」において「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と主張した。LGBTは、性的少数者を指す。相模原の事件から2年が経過したが、この事件の犯人は重い障害のある人々を「生きる意味のないいのち」として虐殺した。一方でカジノ法案は、反対の声、ギャンブル依存症を危惧する声を押しのけ成立した。「お金が儲かる」、それがすべてに優先される時代に私達は生きている。経済効率性、生産性、費用対効果、成果・・・そのような文脈に守られて杉田議員の発言は存在する。彼女もまた「確信犯(自分が正しいことしていると確信している人)」である。
2004年、「ホームレスの自立支援センター北九州」の設置をめぐり住民反対運動がおこった。その時の「陳情署名」の文言は、「リバーウォークと関連して、市の中核地域として開発されることを期待していた住民の期待を裏切るものである。市の中心部の高価な地所に生産性の低い施設を配置するよりももっと高生産性の施設を考えていただきたい」と明言されていた。「生産性」とは何か。施設は、その後反対を押し切り開所され、これまでに千人以上の人が生活を取り戻した。ホームレス状態というのは、単に食べられない、寝るところがない、ということだけではない。公衆の面前で全生活を営み、排せつもする。人間の誇りがそぎ落とされる状態である。ある方が路上でこのように話された。「私、寝る前に祈るんです。二度と目が覚めませんようにと。それで朝起きたら、『ああ、今日も生きてしまった』と思うんです」と。だが、どん底の状態にいた方が他者との出会いを通じてもう一度生きようと立ち上がる。自立支援センターは、そのことを担った。これこそ「生産性が高い施設」だと思う。だが、残念ながら、社会はそうは言わない。お金が儲からないからだ。あるいは、杉田議員の言い方では「子どもを産む人がいない」からだ。拝金主義の時代になって久しい。経済効率第一主義を歩む現在の日本はどこへ向かうのか。
友人にLGBTであることをネットに公表され自殺に追い込まれた大学生がいた。一方で自らカミングアウト(公表)して、戦いつつ生きる人々がいる。声を上げるLGBTの人々の姿にどれだけ多くの人々が「生きる力」をもらっているか。それこそ生産性が高いではないか。LGBTの人々の生き方に励まされるから価値がある」というやり方も同じ渦中に存在する。「生産性の暴論」に最終的に打ち勝つのは「いのちに意味がある」という断言しかない。これを取り戻せるか。
イエスは言う。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」(マタイ26章)。
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