社会

7/8 巻頭言「オウムとは何であったのか」

 6月7日、オウム事件の死刑囚7人に刑が執行された。教祖であった麻原彰晃は、事件の核心部分を語ることなく処刑された。残る6人の執行も迫っているようだ。麻原は、長く拘禁が続く中で、精神が崩壊していったそうだが、必要な治療を受けることなく裁判は終結、死刑が執行された。結局、オウムとは何であったのか。日本社会は、このことを知ることも考えることもなく「異常なテロ集団」として片付けた。一種の「思考停止」だと言える。「戦後最大のテロ事件」などと見出しは踊るが、この事件から私達は何かを学んだろうか。そして、二度とこのような事件は起きないと言えるだろうか。
 ドイツ敗戦40年において当時の大統領ヴァイツゼッカーはナチスを振り返りこう述べた。「しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を覆っていることになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」。私たちは、考えないようにすることでやり過ごそうとしている。殊に、一見自分の日常からかけ離れているかのような「事件」や、「あまりに悲惨でむごたらしい事件」は、自分とは関係ないと思いたい。向き合うしんどさを回避するために「一部の異常な人々の問題」と思い込む。
 だが、過去の現実を自らの心に刻もうとしない者は繰り返す。すでに同様の事が起こっていても、現在に目を覆う。例えば、教祖の暴走を止められない教団の体質は、権力の暴走を止められない今日の状況と重なるし、教祖に気に入られるため忖度に奔走した弟子が、ついにはサリンまで献上してしまう姿は、今日の「それ」を彷彿とさせる。果たして「それ」は過去の出来事か。
 オウムの活動が活発化したのは80年代後半。時はバブルに向かう時期。バブル崩壊後ではなく、いわば戦後の経済成長期に登場した宗教であった。信者にはエリートの若者が多く含まれていたが、経済大国を謳歌していた日本で、その繁栄の一番近くにいたはずのエリートたちがオウムに魅了された。これを「カルト宗教に騙された」で済ますのではなく、彼らが何を求めてすべてを捨ててオウムに行ったのかを考えなければならない。オウムが説いた「救済」とは何か。キリスト教会を含め、既存宗教は何をもって「自分はオウムとは違う」と言えるのか。明確な答えを私たちは、持ち合わせていないように思う。
 死刑制度は、殺人を犯した者に対して「それはやってはいけない」と明確に示すため「殺人で応える」という矛盾を抱えている。それ以上に今回の死刑は、この国が自らの在り方を顧みるチャンスを失った瞬間だったと思う。
 あの日、死刑執行のテレビニュースを僕は高速道路のパーキングエリアの休憩所で見ていた。休憩所のうどん屋の親父さんが「こんな奴らを刑務所で何十年も生かしていたのは税金の無駄遣いだ。こんな連中は早く死刑にしたらよかったんだ。無駄遣いは許さん」と気色ばむ。「ほんとにそうだ」とお客が相槌を打つ。「無駄」のことばに心が痛んだ。オウムとは何であったのか。それを考えるのは、オウム後を生きる教会の課題に他ならない。

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