榎本てる子さんは、関西学院大学神学部の一年上の先輩。大学時代はいろいろとお世話になった。50歳を過ぎた頃からてるちゃんから連絡が来るようになった。「関学で話せえへんか」。てるちゃんは関学神学部の先生になっていた。ただ数年前から病気だという。しかも、難しい状態だという。
フェイスブックなど読んでくれていた様で「あんた、ほんまに言葉に力があるわ」と励ましてくれた。2017年春には、関学の神学セミナーに呼ばれた。そして、二カ月前、てるちゃんが生涯をかけて創った「バザールカフェ」で講演した。相当具合が悪そうだったが「ええ講演やった」とやはり喜んでくれた。この時話したのが最後になった。
4月27日に召された。葬儀は、京都の教会で行われた。「葬儀」と書いたが、本人の希望で「Celebration of Lifes」、つまり「いのちの祝い」と命名された会となった。喪服は禁止。色とりどりの服装の人々が集まっていた。特にLGBT Allyのシンボルであるレインボーを身に付けた人が多かった。そんなことは知らぬ僕は喪服で行った。てるちゃんの葬儀なんだから、そりゃそうだと後で思ったが、「あんた、アホか」と笑ってくれるかなと思った。僕は、悔しいので「黒はレインボーにはない色やから一色加わったということや、ええやないか」と言い訳したかったが、「口がへらん奴っちゃ」と言われるなと思ったが、もう、そんなバカも言えない。
葬儀会場の礼拝堂に入った時、最初に遺影が目に入った。驚愕した。「やられた」と思った。そして「この先輩にはかなわんなあ」と正直思った。会場の真ん中に飾られていたのは、病気を患う、てる子さんの姿だった。彼女は、電動車いすに座り、鼻には酸素のチューブ。そして、笑っていた。病気になったのは十年ぐらい前と聞く。元気だった頃の写真もいくらでもあるはずだ。しんどかった時の、しかも相当最近、死が予感されるような写真だった。僕には出来ないと思った。僕が、今死んだら「もう少しましな時の写真」をお願いしたい言うだろうな。「今よりも少しばかり髪の毛が多い時の写真をお願いします」と。しかし、てるちゃんは、そのままの姿をさらしていた。「奥田くん、いのちを祝うということは、そういうことなんやで」と教えられた気がした。
生きる意味のあるいのちと無いいのちが分断される時代。しかし、意味のないいのちなどない。いのちに意味がある。生きることに意味がある。遺影は何も言わないが、強烈な遺言として、僕はいただいたように思う。ありがとう。
最近、新教出版から「いのちの水」と言う絵本が出た。この原作を日本に紹介したのがてるちゃんだった。不思議なご縁で、僕がこの本の書評を書くことになった。原稿を送るとすぐに返事が来た。「いつも考えさせられるわ。アーメンやな。言葉化する力。大切やわ。一緒に仕事ができるの楽しみにしてるな。褒めてくれて単純に嬉しいわ。」また、褒めてくれた。てる子先輩、ありがとうございました。僕は、もう少し、仕事してから、そっちに行きます。それまで、さようなら。
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