社会

9/23巻頭言「一人のいのちは、地球より重い」

 先日ある高校で講演をしていた。テーマは、「いのちの分断される時代に」。相模原の障がい者殺傷事件についての話だ。600人が聴いてくれた。「皆さん、一人のいのちは地球より重いと言いますが・・・」と話し始めたが、生徒たちはキョトンとしている。不安に思い、「この言葉、聞いたことありますか?」と尋ねるとやはり反応がない。結局、この言葉を知っていたのは、600人中2人だった。
 1977年9月28日に、フランスのシャルル・ド・ゴール空港発の羽田行の日本航空472便(乗員14名、乗客142名)が経由地のムンバイ空港を離陸直後、拳銃、手榴弾などで武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。その後、バングラデシュの首都ダッカ国際空港に強行着陸。犯人グループは人質の身代金として600万ドル(当時約16億円)、さらに日本で服役中の9名の釈放と日本赤軍への参加を要求。拒否された場合、人質を順次殺害すると警告した。この事態に対して当時の福田赳夫内閣総理大臣が「一人の生命は地球より重い」と述べ、身代金の支払いおよび「超法規的措置」として収監中のメンバーなどの引き渡しを行うことを決定した。
 1977年、私は中学二年生だった。「日本の首相は偉い」と思ったことを記憶している。一方で、この福田首相の決定について「テロリストに活動資金を与え、無罪放免とした」などと批判もあったようだ。でも、あなたやあなたの家族が人質だったら果たしてそう言えるだろうか。その後、「一人のいのちは地球より重い」は、確かにあちこちで耳にした。あの頃の自民党は、「いのち」が見えていたようだ。残念ながら、先日再選された現首相は、「テロリストとは交渉しない」と断言している。その結果、何人もの人質がこの間殺された。あなたが人質になっても、この国は助けてくれないという事実は、覚えておいた方が良い。
 中学生の私が感動したあの言葉は、継承されることは無かった。高校生は、ほとんど誰もあの言葉の存在を知らなかった。なぜか?「いのちが大事」、そんな当たり前ことは、既にあえて言うまでもない常識となったからか。あるいは「いのちが重くなくなったから」か。相模原事件の犯人は、重い障がいがある人を「生きる意味ないいのち」と呼び虐殺した。「いのちは一律大事」という常識は崩された。日本の若者たちは、もはや「いのちが大事」という原則に立つことはできず、「自分は意味のあるいのちであること」を自ら証明しなければ殺されるかも知れない時代に生きることになった。一方、沖縄の若者の多くは「ぬちどぅ宝」という言葉を継承している。「いのちこそ宝」である。沖縄戦において県民の四人に一人が殺され、戦後も基地の負担を負わされ続けている沖縄。「いのちこそ宝」と叫び続けなければならない現実があり続けている。しかも、その苦しみを負わせ続けている大和(やまと)である私たちは、いのちの重さを忘れているという現実はどう考えればいいのか。
 「私がいのちである」(ヨハネ14章)とイエスは言う。地球より重いどころか、いのちは、地球をお創りになった方そのものだと聖書は言う。

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