希望のまちの「緊急クラウドファンディング」には、すでに1千人を超える方々が参加くださっている。感謝に堪えない。 報道では「暴力団事務所跡地に複合的福祉施設建築」と紹介される。少々違和感がある。なぜなら僕らが目指すのは「施設ではなくまち」だからだ。「複合」とは何かを考えたい。
ひとりの人が抱えている課題は実に「複合的」。相談現場では聞き取りをもとに「主訴」(問題の中心・主なる訴え)が確定される。ただ「一つのこと」で悩んでいる人などいない。「就職」が主訴であったとしても背景には「複合的な課題」がある。一方、制度は「タテ割り」で出来ている。障害者、高齢者、困窮者など『枠』が決まっている。結果、その人を「まるごとキャッチ」できないことがある。制度を「複合的に組み合わせ」て使うことも必要だが、制度以外の様々な社会資源、なによりも地域にいる「多様な人との出会い」が大事だと思う。「直接的な解決手段」ではないが生きづらさを抱えた人を「複合的に包み込む」ような空間が欲しい。希望のまちは、その意味で「複合的」でありたい。
2000年の「社会福祉基礎構造改革」において「サービス利用者と提供者の対等な関係の確立」が謳われ、福祉は「措置から契約へ」という流れとなった。これまで行政が福祉サービスの提供主体となってきた「措置制度」を原則として廃止し、利用者とサービス提供者との「契約」に委ねることになったのだ。自分の受けるサービスを自ら選ぶ。これは大切なことだ。しかし国や行政の責務としての「措置制度」の必要性は依然ある。僕が出会った方々の中には「契約」が難しい人も現にいた。そういう人が「使える制度があるのに契約しなかったあなたの問題」と切り捨てられてはいけない。「公(官)助としての措置」を欠くことは出来ない。「措置」という語感は好きではないが「国の責務」という点では重要な事柄だ。「措置控え」、つまり行政が財政上の理由などから、入所が必要な人を施設に入れないなどの問題も出てきている。「措置」の重要性を確認したい。
希望のまち(2・3階)には「措置施設(救護施設)」が創設される。一階は制度外の「自由な民間空間(制度ではない)」となる。自分たちの意思で主体的に活動できる空間(まち)と「いざとなったら国が責任を負う」という施設が「複合的」に存在する。「措置と契約」という福祉制度を超えた「複合」の空間となる。
抱樸が目指す「複合」は「ええかげん」ということだと思う。目的や対象者がはっきりしている仕組みを「施設」という。「施設」は常に「強目的的」。僕が感じる「複合的福祉『施設』」の違和感はここから生じる。一方「まち」は「弱目的的」。用がなくても行く場所。この「おおらかさ」と「ええかげんさ」が「まち」である所以だ。「強目的的な施設」と「弱目的的なまち」。この複合が「希望のまち」だと思う。「複合的福祉施設建築」と紹介される度に僕はそんなことを考えている。
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