生きる

8/25巻頭言「星の下は、なぜ必要か」その2

「星の下」は、インターネットを通じてより多くの人が東八幡教会の礼拝に参加する仕組み。「社会的孤立」が問題となっており、「つながりを失った人」が急増している。ある国際調査では、日本人の六人に一人が孤立状態にあるとされている。国は、「ひきこもり」状態の人が全国で150万人と推計。私達は、「孤立の時代」を生きている。
そして、このような現実は、天地創造において「人がひとりでいるのはよくない」(創世記2章)と言われた神のご意志に反する。「星の下」は、孤立状態に置かれた人々に対して東八幡教会は何ができるかという問いに対する応答である。
よって、「星の下」の第一の対象は、現在礼拝に集っている人々ではなく、「まだ見ぬ隣人」となる。私達は、晩餐式の最後に「残ったパン」を思い、祈ってきた。まさに「そのパンを届ける」のが「星の下」である。
私達は、これまでも「まだ見ぬ隣人」を覚え「伝道」をしてきた。毎年「キリスト教講演会」では、何万枚ものチラシを配布した。あるいはホームページ等で宣伝した。その目的は「ひとりでも多くの方に礼拝に来ていただきたい」ということだった。ただ現実には、遠方のため、病気や障害のため、さらに「どうしても人前には出られない」ために「礼拝堂には来られない人」がいた。ならば、「礼拝に来ること」を前提としない「つながり」や「礼拝参加」の仕方を考えるべきではないか。「すべての人のための教会になる」(2019年度教会標語)と決めた東八幡教会は、来ることのできない人に対しても「責任」を負う。ならば、たとえ「礼拝堂」には来られなくても「福音を届ける」こと、いやそれ以前に「つながる」ことを考えたい。それが「星の下」である。
インターネットの活用をめぐっては、「わからない」「そもそもパソコンもスマフォもない」という意見が教会員から出ている。繰り返すが、第一の対象者は「まだ見ぬ隣人」である。さらに、インターネットは「つながるための手段」に過ぎない。「星の下」に会員登録された方に向けて、ネット以外にも「手紙」などで「つながる」ことも出来る。つながりの手段は様々だ。「星の下」は、礼拝堂に来ることはできないが「つながりたい」、「神の家族として覚えて欲しい」という声に東八幡教会および教会員がきちんと応答する、ということである。
「つながること」が目的である。が、常に「出会いは容易ならざるもの」となる。出会うと人は変えられ、出会った隣人が私の中に生き始める。出会った責任が相互に生じる。「星の下」は、一方通行の映像配信ではない。双方向が可能な会員制である。だから、「星の下の会員」の中から東八幡教会を支えたいという声も上がる事だろう。実は、すでに星の下の会員から献金も届いている。神の家族なのだから、もし「助けて」との声が届けば教会はそれに対応する。「星の下」は、そんな神の家族の姿を創造するものとなる。
このような「星の下」は、実は教会員にとっても必要不可欠のものと今後なると思う。これについては、次回。

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