社会

11/12巻頭言「分かち合うための訓練」

少々数字が並ぶが大事なことなので書く。「21世紀の資本」で知られる仏のトマ・ピケティら経済学者の調査報告「世界不平等レポート」によると2021年、世界の上位1%の超富裕層の資産は世界全体の37.8%を占めた。上位10%だと76%。一方で下位50%の資産は全体の2%に過ぎない。世界の成人人口51億人を所得と富(資産)の分布で区別すると、成人人口の下位50%の最貧層は25億人、中間層の40%(下位50%より多く上位10%より少ない収入)は20億人。上位10%は5億1,700万人、最も裕福な上位1%は5,100万人になる。だとすると5,100万人の人(成人)が世界の富の4割を占有していることになる。驚愕すべき格差だ。ちなみに日本は上位10%の資産が57.8%。最上位1%で24.5%。下位50%は5.8%。やはり相当な格差だと言える。
1910年内村鑑三が「既に亡国の民たり」という文章を書いている。この頃内村は足尾銅山事件に関わっていた。(原文は古風な日本語なので少し現代風にした)「国が亡びるということは、山が崩れるとか、河が干上がるとか、土地が崩壊するとかいうことではありません。国民の精神が崩壊したとき国は亡びるのです。人々に愛し合う心がなくなり、お互いを信じられず、友達の成功をねたみ、失敗と堕落を喜ぶ。自分だけの幸せを追求し、他の人のことなど考えない。豊かな人は貧しい人を救おうともしない。教育がどんなに高尚でも、そんな国民はすでに亡国の民に過ぎず、ただわずかに国家の形をとどめているにすぎません」。特に刺さるの「自分だけの幸せを追求し他人のことなど考えない」という部分だ。世界は内村が危惧した「亡び」へと向かっているのではないか。
富が偏重している現実については「私が努力して儲けたのだ。文句を言われる筋合いはない」と言いたい人もいると思う。確かにそうかも知れない。しかし上記の調査を行ったピケティによると資本主義の富の不均衡は放置しておくと益々広がるそうだ。根拠となったのが「r>g」という不等式で「r」は資本収益率を示し「g」は経済成長率を示す。なんだか難しいが、こういうことらしい。保有している資本(資産・財産)を運用した利益、つまり「資本収益率」は経済成長率、つまり働いて稼いだお金を常に上回ったというのだ。18世紀まで遡ってデータを分析した結果だそうだ。資本収益率が年に5%程度であるにもかかわらず経済成長率は1~2%しかなかったという。となると資産のある家に生まれたか、無い家に生まれたかによって勝負はすでについていることになる。だから簡単には「俺様が努力をして稼いだ」とも言えない。
内村は「自分だけの幸せを追求する」ことが滅びへの道だと言う。では救いの道はあるのか。答えは単純だ。「分かち合う」しかない。世界が生き残るにはそれしかない。自然も富も力も独り占めしてはならない。隣国をむさぼり我が物とすることは自らを滅ぼすことになる。分かち合うための訓練。学校も教会も社会もその訓練の場となるべきだと思う。教会では「国と力と栄えはすべて神のもの」と祈る。この意味を考えたい。

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