社会

8/2巻頭言「ポストコロナを生きるために その⑬」

となれば、激務の日々は何だったのか。そもそも私は何を「必要」とし何を「優先」してきたのか。ステイホームは、「いのち守る」ためだった。ならば、この機に乗じて「いのち」という原点に立ち返り、あの日々を見直す必要があるのではないか。かつて高度経済成長を遂げた日本が低成長となり数年が過ぎた。「取り戻そう!」と政治家は雄叫び上げが、何を「取り戻す」のだろう。一九七〇年~一九八四年の一五年間の日本のGDPの成長率は三・九%。当時のアメリカ(三・一%)をしのいでいる。だが、二〇〇〇年~二〇一四年は〇・八%にとどまり、アメリカの半分、中国の十分の一にも満たない。「取り戻したい」気持ちもわかる。ただ、立ち止まって考えるべきこともあるのではないか。一九七〇年代、この国は高度経済成長を遂げ、国民所得も年々上昇した。「総中流」と自称した「中間層」が社会の安定の象徴だった。だが、一方で急激な成長は、ひずみも生んだ。公害問題、モーレツ社員、単身赴任。経済成長のためと原子力発電所が各地に造られた。稼働のため造られた安全神話は、二〇一一年の原発事故によって明らかにされた。何を「取り戻すのか」。あるいは「何が新しい日常」なのか。それを問うのが「いのち」という普遍的価値だと思う。
新型コロナは、これまでの天災のように一部の地方に限定されることなく全世界に広がった。すべての人が感染のリスクにさらされた。グローバル化された世界は、あっという間にパンデミック状態となった。そして、全ての人が「いのち」について考えた。「死ぬかもしれない」と思ったのだ。本来、生きている者は、死への恐怖を抱えている。だが、忙しかった日々は、それを忘れさせた。時々思いだすが「死ぬのは、この仕事をやり終えた後で」とどこかで考えた。しかし、その「何よりも最優先で必要、緊急と信じてきた仕事」が休止に追い込まれ、私達は忘れていた原事実を思いだしたのだ。それが「いのち」ということであり、「私は生きている」ということ、さらに「私は死ぬ」ということだった。
世界がパンデミックに向かっていた三月。津久井やまゆり園事件の判決が出た。犯人の青年は、障害者を「心失者」だと言い「生きる意味のないいのち」と言い放った。多くの人がこの青年を「異常者」だと考えたが、私には彼が「時代の子」だと思えた。社会はこの間「生きる意味のあるいのち」と「生きる意味のないいのち」を分断してきたのではないか。街はホームレスを排除し、支援施設の建設は常に住民反対運動にさらされた。昨年九月、台風一九号が日本列島を襲った。テレビでは「不要不急の外出は控え、いのちを守る最大限の努力」が呼びかけられた。その最中、危険を感じたホームレスが避難所に行ったところ「住民ではない」との理由で断られた。彼は、嵐の中に戻るしかなかったのだ。後日、この避難所は外国人や旅行者は受け入れており、ホームレスだけを排除していたことも判明した。区長が謝罪する事態となった。これらの現実は、新型コロナ以前の社会の実相だった。  
つづく

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。