「畳の上で死にたい」と言っていた方がアパートに入居する。だが、「これでもう安心」といかない。「俺の最期は誰が看取ってくれるか」と言い出す。ホームレス支援は、居宅設置と就職が出来た時点で終了と考えている人は少なくない。しかし、この「誰が」という問いへの答えが無いならば、自立は孤立に終わる。この「答え」を考えるのが「伴走型支援」である。「この人には何が必要か」を考えアパート、保証人、仕事などを支援する。しかし、同時に「この人には誰が必要か」を問わねばならない。
抱樸では、「ハウスレス」を「経済的困窮」と捉え、「ホームレス」を「社会的孤立」と理解した。ハウスとホームは違う。この2つ困窮を同時に解決する仕組みが必要だった。2015年の「生活困窮者自立支援制度」施行や、2021年施行の「地域共生社会」などの厚労省の施策は、この2つは基本的視座が制度の基盤となった。
ただ、これを気づかせてくれたのもホームレスだった。1990年、中学生によるホームレス襲撃事件が起こった。「なんとかしてほしい」との訴えてきた彼が「真夜中にホームレスを襲いに来る中学生は、家があっても帰るところがないんじゃないか。親はいても誰からも心配されていないんじゃないか。俺はホームレスだからその気持ち、わかるけどなあ」と言ったのだ。中学生は家に住んでいる。だからハウスレスではない。しかし、「帰るところ」「心配してくれる人」がいないのなら、それは「ホームレスだ」と。この一言が30年以上にわたる抱樸の支援の視座を定めた。
あれから30年。ホームレス自立支援は進み、路上生活者(ハウスレス)は減った。だが、社会的孤立(ホームレス)は進んだ。「社会が路上に追いついた」。それが実感だ。そして、そこへコロナがやってきた。
日本は、かねてより「地縁・血縁・社縁(会社の縁)」に象徴される「縁(えにし)」の社会だと言われてきた。特に血縁(家族)は、時に人を束縛するほどに強いと言われてきた。しかし、ホームレス支援の現場では、必ずしも「血は水よりも濃い」とは言えなかった。例えば八割以上が無縁仏となっていた。しかし、この孤立化は、もはや路上の現象に留まっていない。OECDが2005年に出した「社会的孤立」に関する調査がある。「友人、同僚、その他の人」との交流が「全くない」あるいは「ほどんどない」と答えた日本人は15.3%。米国3.1%、ドイツ3.5%、英国5%、韓国7.5%であり20ヶ国中、最も孤立が進んでいるのが日本である。ちなみに2012年の相対的貧困率は、米国17.4%、日本16.1%でほぼ同じ。しかし、孤立率では米国の5倍となっている。「お金はないが友達はいる」のが米国で、「お金も友達もいない」というのが日本なのだ。
つづく
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