(2018年5月24日、国会参議院厚労委員会の参考人として証言をしてきた。これはその時の原稿である。当日は、時間切れで全部は話せなかった。)
課題もあります。生活困窮者自立支援制度が誕生した背景には、生活保護の「その他世帯の増加」があったと思います。その分、経済的困窮が強調され、困窮支援制度の事業評価が、「就労」や「増収」に偏重されがちになります。今回明記された「孤立」の解消や「関係性」の評価をどうするかが課題です。
第二のポイントは、「断らない相談」という事ことです。この制度は、このような無謀とも思える目標を掲げたのでした。「生活困窮」とは何を指すのか。「生活困窮者」とは誰か。これらを巡り、制度のスタート時に、だいぶ議論になりました。改正案では、「生活困窮者とは、就労の状況、心身の状況、地域社会との関係その他の事情により、現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者」と、より詳しくなりました。良かったと思いますが、正直、「だから誰?」という感じです。
しかし、私は、「この曖昧さ」が重要だと考えます。従来の制度は、対象者を限定してきました。これまでの縦割りの制度が、対象者を明確化し絞り込む一方で、同時にそれを「断る理由」としたことは事実だと思います。あるいは、それが「制度の隙間」を生み出したわけです。一方、この困窮者支援制度の持つ「豊かな曖昧さ」、あえてそう言いたいのですが、それは「断る理由の放棄」を可能にしたと思います。「困窮」という概念が、「経済的貧困」と「社会的孤立」を中心としつつ、それにも集約されない部分を包摂している。
「断らない」と言うと、従来の「問題解決型の支援」では、「全部解決するのは無理。だから引き受けられない」ということになります。「問題解決」は必要です。一方でこの制度は、「社会的孤立」に注目したわけですから、「ともかくつながることに意味がある」と言うことが大事だと思います。つまり、「すぐには解決できなくても、相談そのものが支援なのだ」と認識することです。このような支援の在り方を評価すべきです。非正規雇用の増加などにより、現在の社会は不安定化しています。一旦問題が解決しても、第二、第三の危機が起こることを想定しなければなりません。となると「誰かにつながっているか」、「誰に助けてと言えるか」が勝負となります。
また、「本当の最後のセーフティーネットは何か」が問題です。これまで生活保護が最後のネットだと厚労省は説明してきました。生活困窮者自立支援制度は、その手前のネットだと。しかし、私はそうではないと思います。例えば、ある市の場合、毎年三千人が保護申請に訪れ千人が受給します。すると、最後のネットから、さらに二千人が落ちていることになります。そこに、「手前」と共に、再び「本当の最後のネット」として生活困窮者自立支援制度が存在しなければならない。最終的に漏らさず、全部受けるのが、この制度の本意だと思います。
つづく
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