(西日本新聞でエッセイを書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
「自分のことができたら誰かのために働きたいと思います」と青年は言った。謙虚な姿勢に関心しつつ「残念ながらその日は来ない」と僕は答えた。
友人の茂木健一郎さんから「マララがなんであんな元気か知ってるか」と問われたことがある。マララ・ユフスザイのことだ。ムスリム圏に生まれた彼女は女性に教育が必要だと訴えた。そのため原理主義者によって銃撃され瀕死の重傷を負った。一命を取り留めたマララが翌年国連で行った演説が忘れられない。「一人の子ども、一人の先生、一冊の本、一本のペンで世界を変えることができるのです。教育こそが唯一の解決方法です。教育こそが一番です」。彼女は17歳でノーベル平和賞を受賞した。
茂木さんは言う。「人間の脳のポテンシャル(潜在能力)は無限です。でもほとんどの人はそれを使っていない。それは自分の事しか考えないからです。そんな人の脳はひとり分のエネルギーしか出さない。だがマララは世界中の女性のことを考えているから無限のエネルギーが出ている。驚異的な回復力はそこから来ている」。ついでに「奥田さんが元気なのも同じだろうね」と慰めてくれた。マララと比べられてはかなわないがこの指摘は重要だと思う。
「分けると減る」。それは現代社会の常識だ。皆、自分の分が減らないように必死に守っている。だがそうかな。マララは「分けたら増える」ことを示してくれたのだと思う。自分の分が確保出来たら他人を助けることができる。そうかも知れない。しかし、他人を助けたら(いやそういう上から目線でなく)、他人と一緒に生きるのならば自分の分が増える、としたらどうだろう。
「結局自分の為かよ」と蔑むなかれ。たとえそうでも他者のために生き、それで誰かが笑顔になり、その上あなたも幸せになる。結構なことじゃないか。利他は犠牲ではない。「利他的利己」でいいと思う。それが人と人とが共に生きるという事だ。「順番を少し変えて見たらどうだろう」と僕は彼に伝えた。
この記事へのコメントはありません。