生きる

6/16巻頭言「リクライニング闘争」

 急遽、東京で午前10時に打合せが入った。北九州発が満席で福岡午前7時発を予約。だが、その時間に自宅から福岡空港に到着できない(電車がない)ことに気づき土壇場で8時発に変更。「遅れます。すいません」と連絡し空港に向かった。希望のまちに関する大事な打合せに遅れる。焦っていた。

 機内はほぼ満席状態。僕の席は普通席の最前列。搭乗した時から膝の上にパソコンを開き原稿を書き始める。滑走路が混雑しているそうでなかなか飛び立たない。少々イライラ。ようやく離陸。シートベルトサインが消え少し休憩とリクライニングを倒した。そのとたん後ろから肩を叩かれた。「リクライニング戻してください。机の上でパソコンが開けないんで」とのこと。振り返ると30歳ぐらいのサラーマン風の青年だった。「ああ、そうですか。でも、少しパソコンを手前に引かれたら開きますよ」と答える。「いや、開かないんで、リクライニングを戻してください」と引かない。30年前だったら「お前、なに勝手なこというてんねん」と言っていた。だが、僕も60過ぎの立派な大人。「ああ、はい、はい」と笑顔でリクライニングを戻す。彼は「ありがとう」とも言わず仕事を始めた。

 眠れない。リクライニングが倒れないこともあるが「俺のリクライニングを倒す権利」をめぐり心が穏やかでないからだ。こちらの席は前席がない分、机がない。だから膝の上にパソコンを開けて仕事をしている。「お前もそうしたらええやんか」と思う。が、声にする勇気はない。どう見ても息子ぐらいの若者だ。「お前さん、『長幼の序』(年長者と年少者の間で当然守るべき社会的・道徳的な秩序のこと。儒教の教え)知らんのか。俺なんか最近優先座席を時々譲ってもらう年齢なんだぞ!」とやはり心の中で叫ぶ。

 朝早い飛行機に乗りパソコンを叩いている。そんな彼に「仕事頑張ってるんだな」とも思う。それでも「口の利き方があるちゃうの」とも思う。そもそも「俺のリクライニング権」はどうなってんだ!と心の中で叫ぶ。人間、持って行き場がなくなるとさらにいらんことを考える。「そもそもこんなサイズに設計した航空会社が悪い。狭い所に多くの人を詰め込んで『利益至上主義』の経営体質が問題だ」と思い始める。そんなことを考えていると「お飲み物はいかがですか」とキャビンアテンダント(CA)さんが声をかけてきた。「結構!」と語気が強まる。「権利侵害の会社から憐れみなんぞ受けないぞ!」とまたまた心の中で叫ぶ。びっくりしたCAさんに気づき「すいません、スープください」とお願いする。「やっぱり飲むんだ、俺」これも心の声。でも結構おいしいと思う。情けない。

 そんなこんなで最終の着陸態勢へ。すべてのリクライニングもテーブルも元の位置に戻せとのアナウンス。「いいぞ!君もテーブルを戻しなさい」。一矢報いた気分。二〇分遅れで到着。僕も、お兄さんも急いで次の目的地に向かう。「君とはもう二度と会わないと思うけどまあ頑張れよ。でも、お礼ぐらいは言えよ、次は絶対に譲らないからな」と心の中で宣言。そんな「闘争」が繰り広げられているなどつゆ知らず乗客は去っていく。

 「なんて心の狭い僕なんだ」。落ち込みつつ京急線へ。なぜか優先座席に座る。「今日はいいのだ」。よくわからない理屈をこねる。本当につまらない。「赦された罪人」を実感する。待ち合わせには40分の遅刻。

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