翌日、松ちゃんは現れた。さすがに神妙な面持ちだった。「これからどうするの」と尋ねる。無言。本人もどうしていいのかわからない状態なのだろう。松ちゃんには、自分が悪いことをしたという認識はある。飲んでいなければ実に気の優しい聡明な人。自立支援住宅入居時の聞き取りでは、「学生の時は、悪さばっかりしてだいぶ叱られた。勉強しなかった。試験の前の日には魚釣りに行っていた。だけど『お前が普通に勉強していたら東大でもいけたのに』とよく言われていた」と証言している。東大はともかく、時折松ちゃんが全部分かった上で「やらかしている」ように感じられる時があった。無茶苦茶をする松ちゃんとそれに右往左往する私たち。それら全体を俯瞰している松ちゃん。そんな風に感じることがしばしばあった。それは私たちを「試している」ようでもあり、「楽しんでいる」ようでもあった。
「松ちゃん。ともかくお酒が問題やと僕は思う」。「そうやなあ。確かに酒飲むと大変な目に遭うからなあ」「あのね、大変な目に遭ってるのはこっちの方です」「あははは」「あははは」・・・。どうしてもこうなってします。本当に不思議な人。思い切って切り出した。「松ちゃんの状態は、お酒が好きとか、嫌いとかというレベルではないと思う。これはアルコール依存症という立派な病気だと思う。お酒を飲んでしまったり、わけのわからない行動をしたり、記憶が曖昧になったり、これらはすべてこの病気の症状だと思います。例えば風邪を引いてくしゃみが出る。我慢しても出る時は出る。病気の症状だからです。くしゃみばっかりする人に『あなたくしゃみ好きね』とは誰も言わない。『風邪ひいたの』と聞くやろ。アルコール依存症も同じ。これは『お酒好きね』という問題でもなければ、我慢すれば飲まないで済むということでもない。松ちゃん、病気の時はどうする」。「病院に行く」「そうそう、正解。病院に行かないと治らない。だから病院を探そうと思うけど、どうや」「そうやなあ。しゃーないなあ。入院するか」と決して乗り気ではないが本人も考え始めている様子が伺えた。本人も承諾済みで病院探しが始まった。数日後、これまでお世話になったある病院が引き受けてくれることになった。
明日入院という前日、松ちゃんを訪ねた。「どうしてる。まさか飲んでないよね。お医者さんから、飲んで病院にきたら『治療する意思なし』と見なし入院は取り消しになりますって言われてるで。大丈夫かな」。「奥田さん。大丈夫。大丈夫。大船に乗った気持ちでいてくださいね」と松ちゃんは笑った。確かに飲んでいない。においもしない。このまま上手く入院できるかもとの望みが膨らむ。「じゃあ、明日、朝八時三〇分に教会に来て。そのまま病院にいくからね」と伝え入院の支度を手伝って引き上げることにした。支援住宅を出たところで様子を伺う。しばらくして松ちゃんの部屋の電気が消えた。「ああ、寝たな」と安堵する。ただ、帰りの道々「大船に乗った気持ちでいてくださいね」と笑う松ちゃんの笑顔が何度も頭に浮かんだ。夜風が妙に生暖かった。
つづく
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