(西日本新聞でエッセイを書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
山本さん(仮名)は野宿を脱し地域で暮らし始めた。野宿時代から犬を飼っており理解のある大家に恵まれて犬と一緒に暮らしておられた。その山本さんが危篤に。ご本人は病院にお願いするしかないが犬はどうするか。それで彼はわが家にやってきたのだ。
主人は意識不明で犬の名前はわからない。氏名不詳のその犬は見るも無残な状態で毛は大半抜け落ちて丸出しの皮膚は赤くただれていた。異様な臭いがし玄関に着くなりへたりこんだ。獣医に診てもらったところ皮膚病ではなくストレスと栄養不足が原因だと分かった。具合が悪い山本さんは世話ができなかったのだろう。名無しでは具合が悪いので「ゲズントハイト」と命名した。ドイツ語で「お元気で」という意味。
立ち上がるのもやっとだったゲズントハイトだが翌日早速逃亡した。飛び出した彼は主人が入院している病院の方角へ駆け出した。偶然かも知れないが、僕には彼が確信をもって走っているように見えた。残念ながらゲズントハイトはすぐにへたりこんでお縄に。それから毎晩夜泣きが始まった。悲しい彼の声が地域に響く。ご近所からのクレームが入り落ち着くまで僕も毛布を敷いて彼の横で寝ることに。それにしても臭い。
ゲズントハイトは奇跡な回復を見せた。毛は生えそろい体もたくましくなった。散歩では僕を引きずるように先を行く。一方主人の山本さんもそれに呼応するように回復を遂げた。意識が戻り犬の写真を見せると「あああジョンや」とひとこと。一同「ジョンやったか」。その後、彼は「ジョン・ゲズントハイト」という相当にかっこうの良い名前になった。
「こいつがいるから頑張らんと」「こいつの餌代稼がんといかん」「あの人の元に帰りたい」。お互いが支え合う家族。その後、数年間ジョン・ゲズントハイトは主人と共に生き、そして死んだ。あとを追うように山本さんも召された。いまは天国で二人仲良く過ごしていることだろう。時々二人に会いたいと僕は思う。
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