社会

4/1 NHK視点論点「「無届け施設」が問うもの―札幌「そしあるハイム」火災を考える―」 その①

(3月20日にNHK視点論点にて話した内容を連載する。札幌の住宅火災事故に関しての番組 その①)

1,はじめに―札幌「そしあるハイム」火災事故
 2018年1月31日夜、札幌市にある「そしあるハイム」という「民間施設」で火災がありました。築50年を経た木造アパートは、一気に燃え広がり、11名が亡くなりました。亡くなった方々を思うと胸が痛みます。現在、この建物の安全性や運営に関する検証がなされていると思いますが、同時に重要なのは、「そしあるハイム」がどのような役割を担ってきたのか。あるいは、担わざるを得なかったのか、ということについて検証することだと、私は考えます。
このような火災は、実は繰り返し発生しています。2009年3月群馬県の高齢者施設の火災で10人が、2010年3月札幌市の高齢者グループホームで7人が、2013年2月長崎市の高齢者グループホームで5人が、2015年5月川崎市の簡易宿泊所で11人が、昨年も5月には北九州市の困窮者が入居していたアパートで六名が、八月には秋田県横手市の精神病院から退院した方々が入居していたアパートで5人が、そして今回11名が火災で亡くなりました。なぜ、「そしあるハイム」が必要であったのかの検証は、今後社会が何を整えなければならないかを考える上で必要だと思います。

2、どのような人々が利用していたのか
これらの火事に共通しているのは、犠牲となった人々が元ホームレスであったり、自力でのアパート入居が困難な方、専門施設に入るほどではないが一人暮らしが難しい人々だった、ということです。私は、30年近く困窮者の支援をしてきました。彼らが抱える困難の第一は、経済的貧困ということです。私たちは、それを「ハウスレス」と呼びました。食事の提供、入居や就職などの支援をします。関わりは自立後も続きます。アパート入居で生活は安定し、野宿時代とは隔世の観があります。
しかし、部屋の中でポツンと独り過ごされている姿は、野宿時代、路上に独り座っておられた姿と何も変わっていません。路上では「畳の上で死にたい」と仰っていた人が、アパート入居後「私の最期は誰が看取ってくれるのか」と話されます。そこにある、もう一つの問題は「ホームがない」、つまり「関係」や「絆」を失っているということでした。私たちは、「ハウス」と「ホーム」は違うと考え、「ハウスレス=経済的貧困」と「ホームレス=社会的孤立」を同時に解決できる仕組みが必要だと考えました。
これまでに私のNPOが関わった自立者は3千人を超え、生活の継続率は9割を超えています。出会いから看取りまでの伴走型の支援を実施しています。「そしあるハイム」の入居者の大半が単身の困窮者でした。これらの人々は、既存の制度を利用することが難しく、いわば「制度の狭間」におかれた「行き場のない人々」でした。

つづく

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