「誤嚥性肺炎」の治療としては「絶飲食」は当然だと素人の僕にもわかる。ニベアが無くなった件もひもじさに耐えきれなかった親父が食べたかどうかはわからない。絶飲食と治療のおかげでしばらくの時が与えられ、僕が親父を見舞うことができたことも事実。だから「絶飲食」にも意味はある。だが、僕にはどうしても親父の最期があまり幸福ではなかったように思えてならない。「あれで良かったのか」という問いは残り続けている。そんなことを今も時々考えている。やせ細った親父が最期まで新聞を広げていた姿は痛々しかった。仕方ないと簡単には言えない。悔やんでいないと言えば嘘になる。以来、僕は答えのない問いの海を今も漂っている。
この話には実は後日談がある。親父が逝って1年程たった頃、僕は講演会の講師としてある県に呼ばれていた。講演後、主催者の一人が駅まで送ってくださることになった。車中、いろいろな話をした。その時、その方が「実は今、父が入院をしています。入院中に誤嚥性肺炎を起こし現在『絶飲食』中です。日に日に弱っていく姿をただ見ているのが辛いんです」と彼女は言いった。僕は、実は一年ほど前、こんなことを経験しましたと親父の話しをした。答えは今も分からないが確かに悔いは残っていると正直に伝えた。「これは責任の取れない話しですが、僕はあの時、食べさせたら良かったと今では思っています」と。無責任な発言であることは十分承知している。それが医療の常識からは逸脱することになるかも知れないことも。医師との間に混乱が生じるかも知れない。だが伝えなければならないと僕は考えていた。
それから2週間ほどが過ぎたある日、彼女から知らせが届いた。「あの後、イチかバチかで父親に食べさせました。するとどんどん元気になって昨日退院することができました。ありがとうございました。」とのことだった。驚いた。しかし、「だから食べさせた方が良いに決まっている」とは言えない。「たまたまうまくいった」に過ぎないのかも知れない。ただ、その「無謀なチャレンジ」ができたのは親父の経験を彼女に伝えた結果であることは確かだった。
親父のことを思うと今も答えのない問いの前にたたずむ自分がいる。人と出会い、共に生き、時々の出来事と向き合うということは、答えのない問いの中に身を置く営みに他ならない。人が人とつながり生きるとはそういう事なのだと思う。
いずれ天国で再会した時、ニベアの件については親父に尋ねてみたい。あの時どうだったのか。それまで僕は問いを大切にしながら生きていきたいと思う。 おわり
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