4/25巻頭言「あれから三年―松ちゃん、会いたいよ その②」

  る日、松ちゃんの下の部屋の住民から「水が漏れている」との苦情が来た。駆けつけると部屋の中で松ちゃんは寝ていた。別に変わった様子はない。いや、でも、これって何かおかしい。なんだ、なんだ?よくよく見てみると部屋の感じが何か違う。なんと流し台の位置が変わっているではないか。「松ちゃん、これどうしたの」と聞くとすました顔で「ちょっと模様替えしてみた」と仰る。「松ちゃん。流し動かすのは良いけど、排水のホースはどうしたの」「あああ、そうやったなあ」と本人は笑っておられた。流しの下の扉を開けると、そこはもう「えらいこっちゃワールド」状態。とほほ・・・。
なんで、こうなるのか。松ちゃんは、一体何をしたいのか。確かにお酒の問題はある。しかし、それだけではない。松ちゃんは、何かをしたかったわけではないと思う。それは「時」の問題なのだ。松ちゃんは待っていたのだ。身体と心が一つになる時を。
「自立支援」とは生活の基盤を整えること。松ちゃんは、アパートに入り、生活保護を受給した。寝るところや食べることの心配から解放されたのだ。ただ、それは生活基盤が整うことに過ぎない。生活基盤が整っても心が付いてこないなら、それはまだ松ちゃんの人生にはなり切れない。
松ちゃんは、あの頃、なんだか落ち着かない日々を過ごしていたのだと思う。身体と心の乖離の中で松ちゃんはもがいていたのだと。そして、その答えを松ちゃんは僕らとの出会いの中に求めていたように思う。
「試し行動」という言葉がある。「子どもが親・里親・教師などの保護者に対して、自分をどの程度まで受けとめてくれるのかを探るために、わざと困らせるような行動をとること」とされている。あの頃の松ちゃんは、この「試し行動」をとっていたのかも知れない。たぶんそれは考えてやっていたのではなく、いわば本能的になされていたように思う。不可解な行動をとり続ける松ちゃんとの我慢比べのような日々が続いた。
不思議な行動をとり続ける松ちゃんは、時に警察の厄介になった。地元の警察から引き取りの依頼が届く。商店街の駐車場にあった幟旗を引き抜き振り回していたとか、職務質問を受けた時に小さなナイフを所持していたとか。どれも、逮捕に至らず「身柄引き受け」で済んだ。警察署に迎えに行くと笑顔の松ちゃんがいた。車に乗り「ええ加減にしいや」というと「あはは」と笑う。不思議にそれ以上怒る気になれない。本当に不思議な人であった。
自立支援住宅に入り二カ月が過ぎた。その年の夏の終わり。松ちゃんは、仕事を始めた。仕事と言っても会社勤めではない。松ちゃんは、毎朝わが家に新聞を届けるという役割を自ら担ったのだ。ただ、届けると言っても郵便受けから新聞を取り、一メートル先の玄関ドアのノブに挟むという「仕事」だった。それが果たして「ありがたいか」と問われると良く解らないのだが、私にとっては、この松ちゃんの変化は驚くべき事柄だった。  

つづく

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