(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
子ども時代、お出かけと言えば「京都のデパート」と決まっていた。物珍しいものがずらりと並ぶ店内に少年だった僕は興奮した。ひとりでどんどん歩き出す。「迷子になるよ」と心配する母。
それはまずいと思い母の手を握る。「おもちゃ売り場に行きたい」「お昼はオムライスが食べたい」と語りかける。返事がない。「なあ、お母ちゃん」。ふと見上げると全然知らないおばさんが立っていた。僕はその人の手を握ってしゃべりかけていたのだ。思わず「誰?」と僕。おばさんも「誰?」。迷子にならないように手をつないだが既に迷子になっていた。
心細くなり泣き出した僕は「お母ちゃん」を連呼しながら店内を徘徊。数分かも知れないが僕には数時間に感じた。くたびれ果てて涙も枯れた。「ああ僕は二度と大津の家には帰れないのだ。このまま京都で死ぬのだ。たぶん人さらいにさらわれてサーカスに売られるのだ。最後はライオンのエサになるのだ。ああああ」。人間心配になるとロクな事を考えない。
すると遠くから「あんた何してんの」の懐かしい声が。家族は家族で僕のことを捜していたのだ。そして母親はこういった。「迷子になったら動かずじっとしていなさい。必ず捜してあげるから」。
子どもは離れまいと母の手を握る。しかし事実は違う。子どもが母の手を握っているのではない。母親が子どもを放すまいと子どもの手を握っているのだ。それが事実。「必ず捜してくれる」。それを信じて待てる子どもは幸せだ。
人は時に迷子になる。そんな時は慌ててあちこち右往左往しない。きっと見つけてくれる人が現れるからそれを待つ。確かに現代社会はそうと言えない冷たいものを感じる。少なくない人が誰も捜してくれないと諦めている。だったら安心して迷子になれるまちを創ろう。そこでは迷子になる度に誰かがあなたを捜してくれる。それを信じて待つ。そしてあなたも捜す人になる。それが希望のまち。安心して迷子になれるまち。
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