社会

3/3巻頭言「私には夢がある―ある住民説明における住民代表の言葉」

 住民を代表して、皆さんがこの町に来られることを心より歓迎します。
 雨にも負けず、風にも負けず、虐待する親にも、世間の冷たさにも負けず生きてきた。満足に食べることもできず、何度も裏切られ、心は傷き、「欲」を持つことさえあきらめ、反抗を試みるも、生き残るために「いい子」を演じ、怒らず、静かに我慢して、怖いお父さんの顔色をうかがい生きてきた。
 でもね、この町では子どもは勝手でいいんです。「いやだ」と言っていいんです。もう我慢する必要はありません。一日一食ままならず、居場所も無く、「自分はどうでもいいいのちだ」と言わせたのは大人です。どうでもいい、それは事実ではありません。神様はどうでもいいいのちをお創りになるほどお暇ではないからです。
 生きるために君たちは学んだのです。学校の勉強よりも、もっと深く実践的な何かを。そんな努力を「ずるがしこい」と言い、君たちを「危険だ」と言う浅はかな大人がいます。つらい日には、施設の松を眺め、時には路上で街灯を見つめた君たちしか見えなかった大事なことがあったにも関わらず。
 東に病の子がいると聞いても「親の責任だ」と助けない社会は、「自分が病気になっても助けてもらえない」との確信を君たちに与えたのです。この町は違います。見捨てません。西に疲れた母親がいると聞くと「お母さんなら頑張りなさい」と言う。育てられた経験のない人は、何をしていいのかわからないのです。この町は違います。一緒になって重荷を負います。高齢化した町には、子育ての達人がいます。安心ください。南に死にそうな人がいると聞くと「自業自得だ」と切り捨てます。この町は違います。あるホームレスのおじさんは「畳の上で死にたい」と言っていました。その後、アパートに入った彼は「最期は誰が看取ってくれるだろか」と言いましたが、数年後、多くの町の人に見守られ彼は幸せそうに逝きました。「幸せそう」は不謹慎かもしれませんが、この町には看取ってくれる人がいるので死も怖くありません。北に住民反対運動が起こったら、「つまらんことはやめろ」と言いましょう。この町には反対運動はありません。そもそも地価は下がりません。私たちは住みたくなる町を作ります。泣いている子、笑顔を忘れた母親がもう一度笑える町です。だから地価は上がります。
 君たちは、どれだけ泣いてきたのでしょう。「不良少年」と叩かれ、ほめてくれる人もいなかった。しかし、苦難を乗り越えた君たちを私は尊敬します。「えらい」と。君たちから「生きること」を学びたいと思います。迷惑をかけてもいいのです。こちらの迷惑も引き受けてください。泣いている子ども、苦労した母親、自分を責めている父親、みんなこの町においでなさい。一緒に生きましょう。私は、そういう人になりたいのです。

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