3/24巻頭言「結婚式祝辞」

 二人は結婚されたわけです。式において二人は愛し合っていることを表明されました。結婚とは「二人が愛し合っていることの証明」だと言えます。しかし、その表明には根拠があります。それは、二人がこれまで多くの人から愛されたという根拠です。その結果が結婚ということです。結婚とは「二人が愛されてきた証明」でもあるのです。愛された者が愛する者になれる。これが「結婚」です。
 抱樸では、数年前から「こども家族まるごとプロジェクト」を実施しています。訪問型の学習支援を基盤とした世帯支援です。学校に来られない子どもを訪ねます。多くの場合、子どものみならず親が困難を抱えています。ゴミ屋敷のような家、お弁当をつくらない親。当初虐待では、ネグレクトでは、と思いました。「親なのに、なぜお弁当を作ってあげないの」、「なぜ、一緒に遊んであげないの」と言いたくなります。しかし、話しを聞いてみると、そのお母さんも子どもの頃、弁当を作ってもらったことも、遊んでもらったこともなかったという現実を知ります。誰からもやってもらったことがないことを誰かにしてあげることは難しい。私たちは、誰かにやってもらったから、誰かにしてあげることが出来るのです。
 子どもが泣いています。コップを持ったお母さんが子どもの前に立っています。「なんで、子どもに飲ませないの」と言いたくなります。しかし、よく見るとコップには何も入っていない。そこにあるはずの「愛という水」がないのです。「社会的相続」ということばがあります。「自立する力の伝達行為」と言われます。相続は、お金だけでなく、お弁当を作ってもらった経験、遊んでもらった思い出などが、親から子へと相続されます。しかし、それがない人は現にいます。だからこそ「相続」は「社会的」であるべきなのです。空のコップに水を入れるのは誰なのか。それは誰でもいい。抱樸では、お弁当の作り方を親に教えるなど、社会的相続の創造という支援を続けています。
 あなた達は愛し合い結婚をしました。それは「愛し合えた」結果です。それが出来たのは、これまで多く愛されたからです。両親をはじめ、多くの人々が君たちを愛してくれた。君たちのコップには、愛という水が満たされていた。それを互いが分かち合うと決断した。それが結婚です。イエスは「新しいいましめを与える、互に愛し合いなさい」(ヨハネ福音書13章)と言われました。しかし、イエスは愛の構造、つまり人間とは何かを知っておられたのです。だから、もう一言付け加えられました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」。私があなたを愛したように互いに愛し合え、これは相続の構造になっています。
 ですから、結婚するということは、これまで愛されたように互いに愛し合い、さらに他者を愛する人になっていくことです。ダムのような人間になってはならない。ため込んだら水は腐ります。どんどんと愛をあふれさせなさい。次の人々へと流れを絶やさないでほしい。結婚おめでとう。お二人に神の限りない祝福がありますように。

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