社会

3/6巻頭言「あの夏の風景」 西日本新聞エッセイ その⑪

(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
僕の田舎は滋賀県の山間で、田んぼの中で育った。夏、夕方になるとアマガエルが合唱を始める。空が真っ暗になり雷と共に激しい雨が降り出す。夕立はしばらくして止む。するとあちこちに水たまりができる。身を低くして水たまりを覗く。水面から針のようなものが突き出ている。そっと摘まみ上げる。今はすっかり見なくなった「タイコウチ」という水生生物が逆さま状態で上がってくる。僕らやんちゃ坊主のかっこうの遊び相手だった。
夏の夜、カブトムシやクワガタ欲しさに森に入る。クヌギ、いわゆるドングリの木を懐中電灯で照らす。カブトムシの目は照らされるとオレンジに光る。「おお、おった、おった」と手を伸ばす。時にそれがムカデだったりスズメバチだったりしてギョッとする。僕らはクヌギの木を何度も何度も蹴った。揺られた枝からクワガタが落ちて来るのを拾うのだ。「ドサッ」。「おおお大物だ」と枯れ葉の中に落ちた獲物を捜す。時おりヘビが落ちて来ることもあり腰を抜かす。真っ暗な森の中は恐怖で一杯。それと闘いながらカブトムシ欲しさに僕らは森を彷徨った。
小学生になったころ。辺りの道路がアスファルトで舗装されはじめた。水たまりは無くなり「タイコウチ」は姿を消した。田んぼは造成され家が建ち始め、横を流れていた小川にいた蛍もいなくなった。開発され都会化していく地域がうれしくもあり、さびしくもあった。
翌年の夏、僕は不思議な光景を目にする。あちこちでアスファルトが盛り上がり割れだしたのだ。「なんだ」と思って観察しているとアスファルトの下から雑草が顔をだしはじめた。普通の柔らかい草に過ぎないが固いアスファルトを穿(うが)つ力を持っていた。「負けるもんか」という草の意思を見た気がした。しかし、そんな闘いの光景も数年で落ち着き、いつしかアスファルトの凹凸もなくなった。
つらいことがあると僕はあの夏の日を思い出す。「まけるもんか」。草たちの声が僕を励ましてくれる。

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