春休みになって飛行機はほぼ満席状態が続いている。羽田から北九州に向かう機内は、日ごろはサラリーマンがほとんどだが今日は子ども連れが多い。帰省なのか、旅行なのか。あちこち小さな子どもが座っている。その日は天気が良く大きな揺れもない快適なフライトだった。
しかし、なにがどうした。ひとりの子どもが泣きだした。2歳ぐらいか。するとそれに合わせるように他の子どもが泣き始め、機内は泣き声の合唱状態。いたたまれなくなった親が子どもをかかえてあやしだす。が、子どもは一層大声で泣く。「すいません」とお母さん。「全然すいませんではないですよ。子どもは泣くものです。大丈夫」と声をかけてあげたいが、そうもいかず。ほほえましくこの風景を見守っていた。
子どもたちは治まるどころか、結構なカオス状態が機内に広がる。しばらくそんな状態が続くと今度はこっちが不安になりはじめる。「なぜだ。こんな静かなフライトなのになぜ子どもは泣き続けている」。頭の中が「一人陰謀論」状態に。「純粋無垢な子どもだけにわかる異変が起こっているのではないか」。「この後大事故が起こることを子どもは予知しているのではないか」。「いや、外には異星人のおっさんが運転する円盤が飛んでいて地球侵略が始まろうとしているのかもしれん。あいにく通路席で外を確かめられないけど」。泣き声はさらに大きくなり僕は「いらん事」を考え続ける。「子どもたちは危機を知らせようと必死に訴えているのに、大人たちはいつものセリフを繰り返している。『ああ、眠いんだね』やとか、『お腹が減ったんだね』やとか。「違う、違うんだ!今、地球の危機が迫っているのだ。気づいてくれ、大人たちよ!」。しかし、子どもたちの訴えは大人には届かない。
そんなことを考えていた矢先、ドンと機体が揺れた。泣き声は悲鳴に変わる。ベルト着用サイン点灯。「ああああ、やっぱり始まった!」。僕の中で緊張が一気に高まる。「大きく揺れましても飛行の安全性には影響はありません」のアナウンス。『ほんとか?怪しい』。さらに「機長の指示で乗務員も着席します。お客様はご自身でテーブルなどを元の位置に戻しシートベルトを腰の低い位置でしっかりお締めください」。見捨てられた気分。「『あとは自分でやってね』ってこと?『しっかり締めて』って言ったよね。いつも『しっかり』って言ってたか? やっぱあやしい。何かが起こっている。間違いない」。泣き声はさらに大きくなる。「あああもうダメだ、さようなら、皆さん、さようなら。お世話になりました。希望のまち見たかったなあ。借金はどうなるんだろう。伴子いろいろありがとう!もう一回鰻重食べたかった。さようなら~ああああ」。「ドン!」。機体は大きな衝撃に包まれた。「あああああ、終わったアア」。
―「ただいま北九州空港に到着しました」。アナウンスが流れる。いつのまにか子どもたちは泣き止んでいた。到着出口にはおじいちゃんやおばあちゃんがお迎えに来ており「ギャン泣き」など無かったように子どもたちは笑顔で走り出す。おいおい。
「不安とは明確な対象を持たない怖れの感情」(JDC)だと言われる。何もないのによくぞまあ、そんなに不安になれるものだと自分にあきれる。しかし人間ってものはそんなものだと思いつつ僕は帰路についた。
追伸 ちなみに『腰の低い位置でしっかりとお締めください』はいつものセリフでした。3日後の出張時に確かめましたのでご安心を。
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