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社会

3/17巻頭言「未来のいしずえ賞―教育部門受賞」

 先日KODAMA国際教育財団から賞をいただいた。「未来に向かって豊かな社会の礎を築くために目標に向け強い意志をもって活動し努力を重ねた個人」への国際賞。恐縮である。財団理事長は株式会社スヴェンソンホールディングス会長の児玉圭司さん、実行委員長はデザイナーのコシノジュンコさん。京大の山中教授からもメッセージをいただいた。恐縮である。推薦してくださったのは、朝日エル会長の岡山慶子さん。その理由として私がかねてから申し上げてきた「戦争を成立させる三つの要素」における教育の意義だった。
 要素の第一は「貧しさ」である。貧しさや貧富の差、大国の貪りが戦争の背景にある。「食えない現実」が若者を戦場に向かわせる。「もはや徴兵制などいらないのです。政府は格差を拡大する政策を次々と打ち出すだけでいい。経済的追い詰められた国民は、イデオロギーのためでなく、生活苦のために黙っていても戦争にいってくれますから。」(堤未果著『ルポ 貧困大国アメリカ』)。ちなみに徴兵制が廃止されたのは米国1973年、仏90年代半ば、伊・独2000年。にも拘わらず多くの国がその後も戦争をしている。
 第二は「さびしさ」である。満たされない「承認欲求」。特に若者はそれが問題なのだ。「ほめて欲しい」。「認めて欲しい」。「評価して欲しい」。当然の欲求である。生産性や成果に偏った社会では承認が経済価値に転嫁される。承認が満たされない現実は、他者に対する非承認や否定を誘発させる。そんな時、国家が「君は英雄になれる」と言い出す。「この国を救うのは君だ」と言われるとひとたまりもない。
 そして第三は「学びのなさ」である。自分の悲しみや辛さを言葉で表現できるか。そのための訓練が学びだと思う。「わからない」「かなしい」「嫌だ」。そんなことが上手く伝えられない。するとどうなるか。その時人は暴力に走る。養老孟司は、「教養とは人の気持ちがわかること」だという。どんなに勉強ができたとしても自分のことしか考えない人は「無教養」だと言える。
この「貧しさ、さびしさ、学びのなさ」をいかに解消できるか。それが戦争の道を閉ざすことになる。「未来の・・・」。僕はもう60歳だからあまり未来はないなあ。しかし、今後さらに大変になる社会に足して何か残していければと思う。
 受賞スピーチとしてこんなことを語らせていただいた。「(評価された活動は)当然、私ひとりでやっているわけではありません。抱樸には多くの仲間がおり、支えてくれる方がおり、さらにはもう一度がんばろうと立ち上がった多くの方々がおります。そのみんなの存在で抱樸の活動は進んできました。だから、これは個人が受けた賞ではなく、これまで頑張ってきたみんなでいただいた賞だと思います。これを励みにさらに前進したいと思います。」賞金は、NPOと教会に寄付することとする。

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