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社会

2016年貧困研究会での発言-ホームレス支援法延長について

(二〇〇二年に施行された「ホームレス自立支援法」は、今年八月期限を迎える。このままでは、この法律は無くなる。この法律の果たした意義は大きい。それは、二万五千人を超えていたホームレス数が現在では六千人台となったことのみならず、この法律が社会的排除の最たるものであったホームレスのいのちと人権の関して明確に国の責務を認めたことにある。以下は、昨年明治大学において開催された貧困研究会での発言の要旨である。)

結論から言うと「ホームレス自立支援法」(以下ホームレス法)は継続すべきだと思います。これから社会の分断が一層進むと思います。相模原の事件は、その象徴です。あれはヘイトクライム(憎悪犯罪)そのものですが、容疑者は障がい者を「生きる意味のないいのち」だして殺害しました。ナチスの「障害者抹殺計画」における「Lebensunwertes Leben(生きるに値しないいのち)」と同じです。「意味のあるいのち」と「意味ないいのち」という分断が起ころうとしています。私が最初に「分断」に直面したのは一八歳の時でした。釜ヶ崎に通うようになり、当時は大阪市内で毎年二〇〇人以上が路上死していました。一切報道されません。釜ヶ崎の労働者やホームレスのいのちに対する一般の意識は完全に分断され無視されていました。

「ホームレス自立支援法」の最も大切な意義は、「国の責務」を明記したことだと思います。これは困窮を社会化したのだと思います。貧困や困窮に関する社会的認識は「自己責任論」が基本です。その中で「分断」が起きます。しかし、ホームレス法は、個人の責任ではなく社会の課題、すなわち「社会的困窮」として捉えたのだと思います。自己責任論によって引き起こされる社会の分断に対するカウンターだったと思います。

ホームレス施策の受け皿となった「生活困窮者自立支援法」(以下新法)が、ホームレス法が「基金」によって実施されていたのに比べ予算は安定しました。新法は閣法で時限立法でもありません。これでホームレス法の中身がすべて新法にすべて引き継がれ、あるいは強化されたのならばホームレス法は無くなっても大丈夫ですが、そうではないと思います。そもそも新法には「ホームレス」という言葉はありません。ホームレス法が無くなると日本の法律からホームレスと言う概念は消えます。また、ホームレス法に基づき実施されてきた「概数調査」や「実態調査」が無くなります。実態がつかめないと施策も打てなくなります。

最も大きな点は、ホームレス法は生活保護を含む様々な制度を総合的に活用した点です。新法は生活保護との併用を禁止しています。一方ホームレス法は生活保護の活用を明記しています。そもそも野宿状態は、新法の言う「生活保護の手前」という状況ではありません。施策の範囲と射程は、ホームレス法の方が大きいく、それは羅針盤であり総合的なアクションプランの基盤となってきました。これが無くなると、地方行政は、支援計画をつくることを止め総合的なホームレス支援がなされなくなると思います。地元の北九州市の場合、ホームレス法に基づき、二〇〇三年に庁舎内に「対策本部」立ち上げました。全庁型組織で11の部局が結集しました。横ぐしを通したのがホームレス法でした。一方新法は保健福祉局のみが担当しており、庁内連携はホームレス法に比べうまくいってないように思います。新法の登場で、ホームレス法は、理念法に近い存在になりますが、この理念が持つ大きな枠組みの意味するものは重要だと考えます。

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