社会

2/5巻頭言「僕はいつ掃除をするか」 西日本新聞エッセイ その⑦

(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)

最初にアパートに入居されたのは70代男性だった。ホームレス生活を五年程されていた。頭金、家財道具、保証人も準備でき無事入居が完了した。

半年が経った頃、大家さんから連絡が入った。「部屋から異臭がしている。見て来て欲しい」。すぐに部屋を訪ねた。ノックをするが応答は無い。確かに異臭がしている。鍵を借りて中へ。電気はすでにとまっており室内は真っ暗。懐中電灯を照らすと部屋はゴミ屋敷状態になっていた。「えええ」。おっかなびっくりゴミを踏みしめ奥の部屋へ。一層ゴミは高く積みあがっていく。その真ん中、親父さんが倒れているのを発見。慌てて駆け寄り「親父さん!」と肩をゆする。最悪の事態が想定された。すると・・・。「なんや、ああ、奥田さんか」と親父さんは笑顔で起き上がった。心臓が止まるかと思った、マジで。

何でこんなことになったのか。僕らは「個人的要因」と「社会的要因」を考えた。まずは本人(個人)になんらかの課題があったのではないかということ。生活自立の経験がない。軽度知的障害などケアすべき課題があったのだ。その手当が出来ていなかった。現在の抱樸のスタッフならば直ぐに気づくと思うが、当時は難しかった。

そして「社会的要因」。考えてみた、僕はいつ掃除をするのかと。「毎日」と言いたいが、正直に言うと「誰かが訪ねてくる時」だ。怠け者の僕の場合、客人が来る前夜、母ちゃんと二人で必死に掃除をする。この親父さんの場合、自立以後、訪ねてくる人はいなかった。僕らも次の人へと向かっていた。そういう機会がないと「掃除をする気」にならない。行動の動機を与えるのは「他者の存在」なのだ。それが無いと「その気」になれない。

その後、福祉制度へのつなぎと共に皆で訪問をするようになった。当初、一つしかなかった湯飲み茶わんが二つになり、三つになっていった。親父さんの部屋は、まあ「きれい」とは言い難かったが、二度とゴミ屋敷にはならなかった。

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