社会

2/11 巻頭言「笑える話を―へんな小学生だった僕」

  兄貴から様々なことを学んだ。五歳年上。ビートルズもレッドツェッペリンもイエスもピンクフロイドも、そしてクイーンも全部兄貴から影響を受けた。中でも兄貴の友達のKさんには影響された。Kさんは落語家を目指す中学生。僕はKさんの落語を傍で聞きながら覚えた。「平林」「番長皿屋敷」。今思えばずいぶんマニヤックなレパートリーだった。昨今、こんな演目をやっている人を見ない。
 しかし、小学生の僕にはそれがメチャクチャ面白かった。膳所小学校一年二組の担任は横関先生で少し「外人」みたいな風貌の方。僕は大好きだった。というか横関先生にはずいぶん「えこひいき」してもらったように思う(それは僕だけではなくクラスの多くがそう思っていたと思う)。僕が「落語をやりたい」と横関先生に言うと先生は自宅から座布団を持ってきて教壇の上に置き「ともし君、はいどうぞ」と言ってくれた。それで僕は「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもっくもく」(これは「平林」のセリフ)とやっていたのだ。授業中だったのか、放課後だったのか、もう思い出せないが、僕は教室で何度もKさんから聞き覚えた落語を演じた。確かに。
 僕の説教を聴いた人が時々「落語みたい」と言ってくださる。誉め言葉なのかはわからないが、確かに僕は小1の時から落語をしていた。聖書の話と落語は違う。しかし目指すところは同じかも知れない。ウルフルズは「とにかく笑えれば、最後に笑えれば」(「笑えれば」歌詞)と歌ったが、僕は牧師の役割はそれだと思っている(すいません。神学部の大先生たちからはお叱りを受けるかも知れませんが)。確かに面白いだけではだめだと思う。「笑い」に頼っている今のテレビを見ていてそれはそう思う。
 しかし笑うことが人生にとって重要であることは疑う余地はない。人は楽しいから笑うのではない。そうならば、こんな現実を生きる私たちに笑える日が来るだろうか。戦争や止まず、差別は横行し、政治家か堕落し続けている。防衛予算は歯止めなく福祉予算は削られる。どうやって「笑え」と言うのか。ならばともかく「笑う」しかない。人は楽しいから笑うのではない。笑っていると楽しくなる。それでいいと思う。
 僕はなぜ、小学生の時から落語をしていたのか。今も、落語みたいな説教を教会でしているのか。それは僕自身が「笑いたい」からだと思う。多分そう。苦しいことが多すぎるこの世界の中で、無理をしても笑いたい。そんな風に僕は「渇いている」のだ。
 そうなると「変な小学生だった僕」を褒めてくれた横関先生は、僕を牧師にした最初の人なのかも知れない。ああ、先生に遭いたい。あれから53年。60歳になった。先生、あの時40歳だとしたら93歳。会えるかも知れない。僕は牧師として笑える話を考え続けたい。今、故郷で夜の琵琶湖が眺めながらこの文章を書いている。

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